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SPD、エリート大学の構築を提唱

   社会民主党SPDのショルツ幹事長は、米国を模範にしたエリート大学の構築を提唱した。ブルマーン連邦教育相(SPD)はこれを支持して、世界の第1リーグで競争するためには、エリート大学が約10校必要だと語った。エリート大学の構築は連邦の管轄とし、その資金援助は主として連邦が担う。エリート大学は競争の中で創出され、従来の大学の「引き馬」になるという。

 「技術革新」は連立政権の今年の教育・技術・研究政策の主要テーマで、連邦政府は社会保障制度再建を中核とする「アジェンダ2010」にこのテーマを追加する。ショルツ幹事長は、子供・家族・教育政策が未来のテーマであり、それが裕福な社会の基盤を保証すると語った。SPD はスーパー選挙年の2004年に技術革新と教育のテーマで攻勢をかける。

 そこで、SPD はワイマールの会議で、「技術革新ガイドライン」を決定した。

     教育・研究への支出を2010年までに現在の国内総生産の2,5%から3%に増やす(その内の3分の2は経済界、3分の1は連邦が負担する)。

     国際エリート大学を少なくとも一校構築する。

     世界最高水準を確保するために、国と企業の連携を強化する。

     大学入学率を現在の35,6%から40%に引き上げる。

 SPD 首脳部のエリート大学構築構想は、野党だけでなく、SPD 党内でも「表面的過ぎる」と批判されている。シェール氏(SPD)は、教育制度が抱える広範な問題をエリート養成で解決することはできないと語った。緑の党は教育制度の強化は歓迎しているが、一面的なエリート養成を警告している。ドイツに「ハーバード大学」ができても、その他の大学が現状のままであれば、何も改善されないと、ビュティコーファー氏が語った。エリート養成に反対ではないが、全体の水準を大幅に向上させなければならないという教育・研究政策の本来の目的が脇へそらされてしまうことが懸念されるという。ロスケ氏(緑の党)は、エリート大学構築により教育制度の問題を解決できると考えるのは単純すぎると批判した。

 キリスト教民主同盟 CDU のリュットガー氏は、エリート大学構想はドイツの大学が抱える問題(財政難、定員超過など)に対する回答ではないと批判した。チューリンゲン州のシパンスキー教育相(CDU)は、エリート大学構想は教育制度改革の手段ではないとして、ドイツの将来は、マックスプランク研究所のような大きな研究施設と大学の連携を強化して、ネットワーク化することにあると語った。自由民主党 FDP のピーパー幹事長は、大学が十分な教授陣とリソースを持たず、学生を自由に選ぶこともできないのに、エリート大学を空想するのは全く意味がないと厳しく批判した。SPD は技術革新を大言壮語する一方で、大学構築資金を13500万ユーロも削減しているのは納得のゆかない矛盾だとしている。

 大学学長会議のエベル・ガブリエル事務総長は、政治がエリート大学の創出を制御しようとしていることに懸念を示した。エリート大学は自由競争においてのみ発展することができるとして、ドイツが必要としているのは学術上のエリートであり、必ずしもエリート大学ではないと述べた。それぞれの長所を持つ大学が全国にあることにドイツ大学制度の強みがある。大学間のオープンな自由競争が必要だという。

 ドイツ学術振興協会DFGのヴィンナッカー会長は、エリート大学の構築には年間6000万~1億ユーロの費用がかかるとして、大急ぎのコンセプトを警告している。しかも、3年間の活動ではなく、長期的展望に立ったコンセプトでなければならないという。競争があって初めてエリート大学が創出されることを指摘して、610校の構築を提案している。

 大学開発センターCHEは、大学制度全体を改革して、もっと競争を導入する必要性(授業料の導入、大学の学生選択の自由など)を指摘している。各大学がエリート大学になれるチャンスを与えられなければならないとして、1校だけに投資することに反対している。また、全国学生連盟はエリート大学の導入を「二階級制教育」として批判している。一方では社会的に公平な教育制度を主張しながら、他方ではエリート大学の導入を提唱するSPDの政策は矛盾しているという。

  平等の原則を主張するSPDの大学政策は、授業料徴収/大学の学生選択の自由/大学教授の非公務員化を禁止する一方で、大学入学率を現在の35,6%から40%に引き上げて、教育による社会的向上を促進しようとしている。これまで、SPDではエリート養成はタブーだった。専門家はエリート大学の構築には授業料導入が不可欠だと見ているが、SPDは依然として授業料導入に反対している。専門家は、SPDの技術革新ガイドラインには財政上の前提条件と法的前提条件が伴っていないとして、スーパー選挙年を念頭に置いたショー的要素が大きいと批判的な見方をしている。

2004112日)

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