オバサンの独り言

 初めて「新成人」という言葉を聞いたとき、どこの火星人かと思っていたら、文字を見て納得した。この新成人たち、毎年、成人式で大暴れしているのだそうだ。会場で酒を飲んで暴力を振るったり、野次を飛ばしたり。周りの成人たちはどんな反応をしているのだろうか。

 先日、地下鉄に乗っていたら、25歳ぐらいの若い母親が3歳ぐらいの男の子を連れて乗り込んできた。男の子は大声を出しながら車内を駆け回り始めた。他の乗客は迷惑そうな顔で、その子と母親をチラチラ睨んでいたが、母親は何も言わない。すると、男の子が母親のところに来て、汚い長靴を履いたまま座席に立ち、ピョンピョン跳び始めた。母親は「危ないから、気をつけなさい」と言っただけ。前に座っていたおばあさんも黙って見ている。男の子と目が合うと、ニコッと微笑んだりして。

 以前だったら、ここで誰かが男の子に注意していただろう。ドイツ人は平気で他人の子供を叱っていたものだ。「三つ子の魂百まで」ではないが、社会の中に躾の基盤があった。“Zivilcourage”(理不尽な事柄に対して市民として自己の信念を主張する勇気)があった。

 随分前のことだが、友人が向かいのアパートに住んでいるおばあさんから、「お宅の窓が汚れているので、拭いてあげましょうか」と言われたそうだ。恐らく、そのおばあさん、毎日窓から外を見ていて、向かいの汚い窓が気になって仕方がなかったのだろう。それほど、ドイツ人は良い意味でも悪い意味でもお節介だった。

 私がドイツに来たばかりの頃、下宿のおばあさんが頼みもしないのに私の練り歯磨きのチューブを折り曲げて、無駄なく使えるようにしているのに気がついた。そのときは、他人の物を黙って折り曲げてと、ドイツ人のお節介に腹を立てたものだが、それ以来、私は無意識のうちに練り歯磨きのチューブを折り曲げて使っていた。今のチューブは折り曲げる必要がなくなったが。

 残念なことに、ドイツにもお節介なお年寄りが少なくなり、無関心社会になりつつある。日本でもドイツでも、今こそ、うるさくて、お節介なお年寄りが求められているのではないだろうか。

2004120日)

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