オバサンの独り言 都内の電車の中の風景である。私の右隣に座っている中年の暗そうな男性はブツブツ一人でしゃべっていたかと思うと、時々大声で叫んでいる。左隣に座っているビジネスマンらしい中年の男性は本を読みながらニヤニヤしている。ちょっと覗いてみたら、なんと、それは少女マンガだった。向かいに座っている15歳ぐらいの女学生3人は降りるまでずっと携帯電話でSMSを書いていた。 次は、喫茶店での風景である。女学生5人がワイワイおしゃべりしながら入ってきた。大きなテーブルに座るや否や、全員カバンから携帯電話を取り出して、それぞれSMS通信を始めた。お互いにおしゃべりをすることもなく、アイスコーヒーをすすりながら、携帯電話とにらめっこしていた。 日本に住んでいる人から見たら、普通の光景なのかもしれないが、久しぶりに日本に帰った私には異様に映った。特に「携帯電話中毒」がかなり進行している。家庭でも友達と会っているときでも、若者もオバさんもオジさんもみんな携帯電話を手放せない。時間があると、携帯電話。食事中でもお構いなしに携帯電話で通信する失礼を失礼とも思わなくなっているほどに、中毒症状が悪化している。 確かに、携帯電話は便利である。今や通信手段としてなくてはならない必需品になりつつある。しかし、携帯電話による通信量の増加に反比例して、親と子、妻と夫、教師と生徒、友達間の対話が減少しているのではないか。日本の忙しいお父さんたちは家で妻や子供と向かい合って語り合い、唾を飛ばしながら議論することがあるのだろうか。対話は一方向ではなく、双方向でなければならない。人間同士が向かい合った対話と携帯電話の通信を混同してはならない。 青少年犯罪、いじめ、不登校、引きこもり、幼児虐待、家庭内暴力などの社会問題が毎日のように日本のマスコミで 報道されているが、向かい合って目を見ながら話し合う「対話」の欠如が病原であるような気がしてならない。 (2004年10月18日)
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