オバサンの独り言

 地下鉄駅構内は禁煙になっているのに、平気でタバコを吸っている人がいる。先日も若者がベンチに座って、堂々とタバコを吸っていた。目の前の壁にはちゃんと禁煙マークが貼ってあったが、完全に無視。タバコを吸う若者をちらちら見る人はいたけれど、注意する人はいなかった。

 また、身体障害者でもないのに、身体障害者用駐車場に駐車する人がいる。頭の障害者? ショッピングセンターの女性用駐車場に駐車した車の運転席から男性が降りるのを見たときは、びっくりするやら、腹立つやら。この人、性転換でもしたのかしら?

 ミュンヘン市内には時速30キロゾーンが多いが、時速30キロを守っている人はほとんどいない。住宅地でも平気で飛ばしている。だから、交通標識通りに走っていると、後ろから追突されそうで、かえって危険だ。

 ところが、近所の30キロゾーンを走る車が急にゆっくりと走るようになった。どうしたのかなと思っていたら、コントロールがあったのだそうだ。それからはみんな時速30キロで走っているらしい。無賃乗車もコントロールが頻繁になってから、少なくなったように思う。

 ミュンヘンのバスの中でも携帯電話を使用することができるようになったが、以前は禁止されていた。携帯電話で通話していると、バスの運転手がすぐに大声で注意するので、さすがの若者も規則に従っていた。なにしろ、マイクを通して大声で厳しく注意されるので、だれだって恥ずかしくなる。極めて効果的だった。

 ドイツにはたくさんの法律がある。無数の規則がある。しかし、多くの規則が守られていない。コントロールがなければ、平気で規則を破っている。破産財政の自治体はコントロールを厳しくして、どんどん罰金を徴収し、予算削減を余儀なくされている社会福祉や青少年支援などに有効に投資すれば、一石二鳥だと思うのだが、いかがなものか。

 罰金額を引き上げると、必ず「高すぎる」という批判が出てくる。規則を守っていれば、払う必要のない罰金なのに。コントロールを厳しくすると、「行政は罰金稼ぎをしている」と批判が出てくる。本末転倒ではないか。はじめから違反することを前提にする考え方がそもそもおかしいのだ。

 規則が氾濫する社会のモラルは低下する一方である。正直者が馬鹿を見ることのない世の中になってほしいものだ。

2004426日)

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