オバサンの独り言 連邦大統領に選出されたケーラー氏は連邦集会における最初の演説を「神が私達の国を加護してくださいますように」という言葉で締め括った。この宗教的な言葉を使ったのはドイツの連邦大統領では彼が初めてである。彼は演説の中で、「私は私達の国を愛している」とも言った。国家元首である大統領が公式の場でこれほどに、ドイツ文化の基盤であるキリスト教と愛国心を強調したのは戦後初めてであろう。 左寄りの新聞の社説では、国際通貨基金専務理事だったケーラー氏の「アメリカかぶれ」と皮肉るコメントがあったが、欧州諸国の メディアではドイツの次期大統領の愛国心がにじみ出る演説を批判する声は聞かれなかった。 また、6月6日にはシュレーダー首相が敗戦国ドイツの連邦首相として初めて、Dデー60周年記念式典(連合国軍のノルマンディー上陸作戦記念式典)に招待され、参列した。この二つの出来事は、ドイツが戦後59年を経てようやく欧州社会に受け入れられたことを象徴していると思う。ヒットラーとナチという暗い過去を背負うドイツ人は、愛国心の強い発言をすれば、すぐにネオナチと非難されてきた。 日本における国旗掲揚・国歌斉唱を巡る教員・生徒と教育委員会の衝突を見ると、日本は戦後59年を経た今もまだ、過去の清算ができていないように思われる。それは、日本人が歴史を直視 することを避けてきたからではないだろうか。 ドイツの子供たちは学校で徹底的にヒットラーとナチの過去を勉強させられる。ナチが犯した罪、その残虐性をいやというほど教えられる。ドイツ人は子供たちに「この過去を忘れてはならない」と教育する一方で、ナチの犠牲者に謝罪してきた。この苦しいプロセスを経てようやく、ドイツ人は自分のルーツに対する誇りと自信を回復し、それを外に向かって表現できるようになった。そして、欧州社会もそれを認めるようになったのである。 日本人にはこのプロセスが欠けているのではないか。日本の戦後教育は厳しい批判的な目で過去の事実を直視せずに、お茶を濁してきた。その反動が今の国旗掲揚・国歌斉唱の問題であろう。しかし、愛国心イコール軍国主義ではない。否定と無視だけでは発展はない。歴史を学ぶことから、私達は本当の愛国心を育むことができるのである。 そして、健全な愛国心であれば、他国に批判されることはない。 (2004年6月7日)
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