オバサンの独り言 大学無料の伝統に終わりを告げる時がやってきたようだ。連邦憲法裁判所の判決後、いくつかの州が大学授業料を導入すると表明している。中期的にはどの州も授業料を徴収することになるだろう。社会保障制度が破綻寸前にあるように、大学無料も限界に来た。理想とイデオロギーだけでは問題を解決できないということか。 PISA調査以来、連邦教育研究省は40%以上の大学進学率とエリート大学の構築を政策目標に掲げている。その反面、厳しい経済状況とコスト削減ゆえに大学の環境が悪化している。年々増える学生を受け入れるだけのお金にも施設にも欠けているからだ。この矛盾する政策の犠牲者は学生である。満杯の講義室、演習問題の採点者の削減、講義の削減など、大学のマンモス化とコスト削減に対する学生たちの不満は大きい。旧き良き時代のドイツ伝統の大学の姿はもう見られない。 受け入れ体制を整備せずに、大学生を増やせ、増やせというのではたまらない。大学の環境に雲泥の差があるのに、アメリカや英国のエリート大学に匹敵する大学を目指しても、それは無理というもの。大学の質が改善されるのであれば、授業料を払う用意があると言う学生は意外と多い。それほど現状は厳しいのである。現在の財政状況では、学ぶ環境を改善する唯一の手段は授業料徴収しかないように思われる。 有料化というと、すぐに社会的不公平が叫ばれる。労働者の子供が大学へ行けなくなるから授業料導入に反対だという声をよく聞く。しかし、学生ローン制度や奨学金制度が整備されれば、能力のある若者は親の所得に関係なく大学へ行くことができる。本気で勉学したい若者は多少授業料が高くても質の高い大学で学びたいと思うだろう。大卒は中卒や高卒よりも収入が多い。就職してから学生ローンを返済することに社会的不公平はあるまい。 無料から有料へのハードルは高いが、この堤防が一度崩れると、授業料値上げに歯止めがかからなくなることが懸念される。州の赤字の穴埋めに授業料収入を使われては元の木阿弥だ。授業料が大学の直接収入になること、大学への補助金カットをしないことが前提条件でなければ、せっかく授業料を徴収しても大学の環境は改善されない。各州政府には、学資援助対策や授業料の用途の明確化などの前提条件を整えてから授業料を導入するよう願いたい。 (2005年1月31日)
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