オバサンの独り言

 秋のスペシャルドラマ「大連合」は二転三転して、いよいよ大詰めに近づいてきた(2005年10月24日の独り言参照)。地方から出てきて財産分与を主張し、事業に参加していた花嫁の兄は自分の思い通りにならないことに気付くと、恥も外聞もなく仕事を放り出して田舎に帰って行った。見栄っ張りの兄のために無理して新築した家は無駄になってしまったが、花嫁は愚痴も言わずに黙々とお家建て直しに励んでいる。花婿の一族でもお家騒動があり、花婿は一族の首長の座を譲らなければならなくなった。首長交代で反乱は収まったものの、両一族は波乱を乗り越えて昔の栄華を取り戻すことができるのか・・・。

 優柔不断なシュトイバーCSU党首も入閣を辞める決定は早かった。 メルケル首相の下の一閣僚であることに嫌気がさしていた矢先、ミュンテフェリング氏のSPD党首辞任を入閣拒否の口実にする好機と見逃さなかった。入閣の決定を総選挙後まで引き延ばし、ようやく入閣を決めたかと思ったら、今度は党内の反対を押し切ってバイエルン州首相後任者の決定を連立政権樹立後に延ばしていた。常に逃げ道を残しておいたというわけだ。

 シュトイバー氏は欧州委員会委員長や連邦大統領のポストにも声をかけられていたが、連邦首相になる夢を諦められなかったのか、勇気と自信がなかったのか、結局、どのポストも手中に収めることができなかった。最後に彼が欲しがった「スーパー大臣」ポストのためにCDU/CSUは財務相という重要ポストを失ったというオマケだけが残った。

 ベルリンでの厳しい現実を認識し、自分の思い通りにならないと知るや否や、お山の大将は自分のお山に帰って行った。虚栄心の強い彼のことだから、いつかはラフォンテン氏のようにオーダーメードの閣僚ポストを投げ出すのではないかという予感はあった。国益よりも自分の権力を優先する利己的な政治家がここにもいた。

 シュトイバー氏退場のきっかけになったミュンテフェリングSPD党首の辞任はプラツェック新党首の誕生をもたらした。メルケルCDU党首もプラツェックSPD党首も旧東独出身で51歳、自然科学者である。この共通点は偶然だろうか。

 メルケル首相とプラツェックSPD党首の誕生は、「68年世代」(シュレーダー氏とフィッシャー氏)から「89年世代」への世代交代を象徴している。1989年の東独崩壊後に西独の政党に入って政治家になった両氏には、西独政党の伝統や派閥のしがらみがない。それが、政党のイデオロギーに染まることなく、柔軟かつ客観的に政治問題に取り組むことができる両氏の強みになっているのではないだろうか。

 西独政治家が権力争いで合意できないために、東独出身の政治家が漁夫の利を得るという面もあるかもしれない。しかし、従来のシステムが機能しなくなり、新しい道を模索している今のドイツには、過去やイデオロギーに縛られない、柔軟にクールに思考できる新しいタイプの指導者が求められているのではないか。その意味で、両氏の登場は偶然ではなく、必然の帰結といえるかもしれない。89年世代の活躍を大いに期待したい。

2005年11月7日)

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