オバサンの独り言

 

 ベルリンのあるハウプトシューレ(5年生〜9年生の基幹学校)の校長が「生徒の校内暴力に対処できないので学校を閉鎖して欲しい」という嘆願書をベルリン州の教育相に提出していたことが新聞報道で明らかになった。教職員全員が学校の閉鎖と新しい学校形態を求めている。ところが、ベルリン州教育相(社会民主党)は緊急の助けを求めるこの嘆願書を1ヶ月以上も放置して、何の対応もしていなかった。

 この学校はベルリンでも失業者と移民(主にトルコ、アラブ諸国、旧ユーゴスラビア、ポーランドからの移民)の割合が最も高いノイケルン地区にある。生徒(224人)の83,2%が外国からの移民の子供で、特にアラブ人(34,9%)とトルコ人(26,1%)が多く、アラブ人が増える傾向にある。少数派であるドイツ人の生徒はできるだけ目立たないようにしており、意識して「外国人のドイツ語」を話しているという。

 暴力、破壊、侮辱的行為という無秩序状態の教室では、教師は完全に無視され、攻撃の対象になる。教師はいつでも助けを求められるように携帯電話を持参しなければ教室に入れない。教師たちは「どうしたらいいか分からない」とSOSを発信した。嘆願書が公表された後、警察の保護下で授業が行われた。これはアメリカではなく、ドイツの話である。しかも、この学校は例外ではなく、全国の大都市で同じような現象が見られるという。

 これは学校制度の問題というよりも、その前の段階の外国人同化の問題だと思う。68年世代はナチスドイツを引きずる旧体制を破壊すべく、非ドイツ化を図った。外国人政策でも教育政策でも寛容と反権威主義を目指した。社会民主党と緑の党の前連立政権が推進した「多文化政策」は68年世代のイデオロギーの集大成だったといえよう。

 ナチスの暗い歴史に負い目があるドイツ人は「反外国人」のレッテルを張られるのを恐れて、外国人問題を黙認してきた。そして、「寛容」の落とし穴に落ちてしまった。外国人や移民に対する無関心、無視を「寛容」と混同し、「自分に害が及ばない限りはしたいようにさせておけばいい」と黙認する自己欺瞞に陥ったのである。その結果がベルリンのハウプトシューレである。

 移住先であるドイツの文化、価値観、宗教、憲法などを受け入れる努力もせずに、自分達の宗教、文化に対する「一方 通行の寛容」を求める移民に対して、ドイツは法治国家として、「双方向の寛容」に基づく同化政策を実施すべきなのではないだろうか。双方が責任と義務を果たして初めて、双方向の寛容が成り立つのである。

  ドイツの市民生活に参加できるチャンスが与えられなければ、移民は同化する価値を見出さないだろう。しかし、与えられたチャンスを活かすためには、ドイツ語の習得が必須になる。だから、多くの政治家や専門家が 提唱しているように、できるだけ早い時期に、遅くとも幼稚園で子供たちにドイツ語を習得させることが肝要である。上述のハウプトシューレの生徒たちは「将来の展望がない」と口々に訴えているが、ドイツ語を習得して学校で勉強しない限り、「将来の展望」なんて転がり込んでくるものではない。

 小学生の年齢でドイツに移住してきたにもかかわらず、ドイツ語を習得し、高等学校(ギムナジウム)、大学で優れた成績を収めている優秀な移民の若者を私は何人も知っている。移民の子供がみんな問題児なのではない。親が教育熱心で、子供を支援すれば、外国人の子供もドイツ社会でドイツ人と対等に競争していけるのである。与えられたチャンスを活かすか否かは本人の努力次第である。

 ところが、イスラム教徒の移民の中には、子供がドイツ語を習得してドイツの文化、価値観を学ぶことに反対する親が多いという。この親たちが子供たちに与えられたチャンスの芽を摘んでしまっているのが現状である。ここに最大の問題がある。従って、子供の同化を妨げる親に対しては、子供が小学校入学前にドイツ語を習得することと幼稚園に通うことを義務付ける必要がある。これは、ドイツで生活していく子供たちのために国がしなければならない任務なのではないだろうか。

 移民の義務と責任を法律で明確化し、それに違反する場合は罰則や制裁を設けることは法治国家として当然だと思う。制裁とか罰則というと、すぐに反対の声が大きくなるが、ドイツ社会への同化を拒む移民の任意に任せている間は、上述のハウプトシューレのような例はいつまでたってもなくならないだろう。

 68年世代の多文化政策は失敗に終わった。責任と義務を明確にした 規律のない多文化政策は機能しない。少子高齢化社会、人口減少社会を迎えたドイツには、イデオロギーに囚われない同化政策が早急に求められている。

2006年4月10日)

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