オバサンの独り言

 

 2007年の重大テーマの一つは「地球温暖化」だった。

 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)とゴア前米副大統領のノーベル平和賞受賞、国連気候変動枠組み条約第13回締約国会議(COP13)の合意というトップニュースは地球温暖化問題に世界の注意を喚起した。

 また、ドイツ語協会が「2007年の言葉」に「Klimakatastrophe(環境破壊)」を選んだように、世界各地で記録的な異常気象や自然災害が起こり、世界の気候変動に対する危機感が強まった。

 ドイツは2007年前期の欧州連合議長国であり、2007年のG8(主要国首脳会議)開催国であったが、首脳理事会とサミットの主要課題も地球温暖化対策だった。議長国ドイツは議論の主導権を握り、温室効果ガス中期削減目標の具体的な数値設定を提唱した。

 COP13でも積極的な温暖化外交を展開した。ドイツ国内のメディアは高い数値目標を主張するドイツと欧州連合を称え、具体的な数値設定に反対する米国やオーストラリア、日本を地球温暖化の根源かのように批判していた。

 ドイツの提案を真摯に受け止めた欧州委員会は早速、具体的な法案を提示した。2012年から新車の二酸化炭素排出量を1km当たり130グラム(平均値)に削減し、この平均値を超える自動車メーカーには販売した車の排出量超過分1グラム当り20ユーロ(2015年から95ユーロ)の過料を科すという厳しい内容になっている。

 ところが、大きな目標を掲げて環境保護の優等生を自負するドイツは欧州委員会の高い目標数値を歓迎するどころか、猛反対しているのだ。「自動車産業はドイツの基幹産業であり、高い目標値はドイツ経済の成長と雇用にネガティブに影響する」というのが政府の反対理由である。

 どこかで聞いたことのある弁明ではないか。そう、ドイツと欧州連合が高い目標値の設定を迫ったときの米国の弁明である。自国の経済にネガティブに影響するような高い数値は受け入れられないという反対理由を大国アメリカのエゴイズムと批判したのはドイツではなかったのか。

 欧州委員会が計画する法制化の背景には、欧州の自動車メーカーが1999年に約束した二酸化炭素削減目標を守れず、任意の自主規制が失敗したという現実がある。しかも、猶予期間を与えられていたにもかかわらず、ドイツの自動車メーカーは二酸化炭素排出量削減のための技術開発でフランスや日本のメーカーに後れを取ったのである。

 ドイツはエゴを暴露してしまった。これでは、他の欧州諸国から偽善と批判されても仕方あるまい。もちろん、批判しているのは自動車産業のない国であるが・・・。

 米国と欧州には今も宣教師的メンタリティーがあると思う。民主主義、自由、人権保護、動物愛護、環境保護・・・、自分達が正しいと信じる理念を世界に布教する使命感に燃えている。だが、先進国の傲慢な利己主義がときどき見え隠れし、「異なるもの」を尊重する謙虚さに欠け、排他的傾向があるために、新興国や発展途上国の反発を招くことが多い。

 そんな先進国のエゴイズムをお手本に、資源獲得のためなら人権侵害にも環境破壊にも目を瞑って世界中で資源を買い漁っている、エゴ剥き出しの新興大国には宣教師的理想もないから困ったものである。世界規模の地球温暖化を無視するのであれば、せめて自国の環境破壊が自国民にいかほど深刻な害を与えるかを早く自覚して欲しいと願うばかりである。

 2008年は北海道洞爺湖サミットが開催される。日本政府はサミット議長国として主導権を握るべく、温室効果ガス削減数値目標の新基準を提案する方針だという。一神教の宣教師的使命に燃える欧州に批判されてきた日本は、日本人の自然観に基づく共存と融合の知恵を生かした環境保護政策を打ち出し、積極的な「主張する外交」を展開してほしいと思う。

 私達も他者を批判する前に、自省しなければならない。誰もが地球温暖化に対する危機感を抱いているが、自分の身に直接関わる対策には不服を唱えることが多い。便利な快適な生活に慣れてしまった私達は高速道路の時速制限に反対し、節電に無関心、燃費のかかる高級車を好み、暖房をガンガンかけてTシャツで過ごしている。どこかの大国と変わらないではないか。

 2008年は私達一人一人の地球温暖化対策を実行したいものである。

2007年12月30日)

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