オバサンの独り言

 

   ベルリンの壁崩壊後に生まれた子供たちは東独(DDR)の歴史を知らない。

   西独の元首相ヴィリー・ブラントは東独の政治家。東独国家評議会議長エーリヒ・ホーネカーの下で民主的選挙が行われた。ベルリンの壁を作ったのは西独か連合軍。東独は独裁国家ではなかった。国家保安機関(Stasi)は普通の秘密情報機関だった・・・。呆れてものが言えないとはこのことだ。

   旧西独の若者の方が旧東独の若者よりも東独の歴史を知っており、東独を批判的に見ている。無知な者ほど東独をポジティブに評価している。また、旧東独の若者の東独像は家族や友達の影響を受けており、旧西独の若者の東独像は学校の授業に基づいている。

   こんな衝撃的な調査結果をベルリン自由大学が発表した。この調査結果はドイツ統一後の東西の歪みを象徴しているように思う。

   東西ドイツ統一は「棚から牡丹餅」の如く訪れ、一気に進展したために、周到に準備する暇がなかった。あれよあれよといううちに、ベルリンの壁が崩壊し、両独統一条約が締結され、東独は西独に編入された。

   しかし、西独の体制が移転されただけで、東独の過去の清算は十分に行われなかった。その代表例がドイツ社会主義統一党(SED)の名称を変えただけの民主社会党(PDS)の存続であろう。このPDSが旧西独の労働組合の一派と合併してできた左派新党が旧東独の第一党であることがそれを如実に示している。

   国家保安機関(Stasi)協力者の追跡・制裁も徹底しているとはいえない。未だにStasi協力者が各界の重要なポストに就いている。Stasi犠牲者の問題が過小評価されている。

   戦後、西独が徹底して行ってきた過去の清算に比べると、旧東独の過去の清算は極めて不満足なものだった。だから、「自由で豊かなドイツ」という憧れから現実の厳しさに目覚めたとき、人々は躊躇することなく「古き良き東独時代」のノスタルジーに慰めを求めたのである。

   そんな大人たちに育てられた子供たちがポジティブな東独像を抱いているのは不思議ではない。西独では、子供たちは学校でナチスの暗い歴史を徹底的に勉強させられてきた。この歴史的事実を否定することは許されない。忘れることは許されない。この一貫した歴史教育がドイツ人の傲慢さを抑制してきたのである。この歴史認識が東独には欠けている。

   戦後63年、ベルリンの壁崩壊後19年が経った。ドイツの子供たちはナチスの歴史は元より、戦後63年間の東独、西独、そして統一後のドイツの歴史を学ばなければならない。歴史的事実を直視し、客観的に評価する教育が求められている。今回の調査結果は歴史を学ぶこと、過去の清算をすることの大切さを改めて示している。

   ある政治家は、子供たちにドイツ社会主義統一党(SED)独裁博物館を見学させることを提案している。ベルリンにあるStasi刑務所を訪れる若者が増えているが、その85%は旧西独の学生だという。館長は、「この博物館を見学すれば、東独に対する幻想が太陽の下の氷のように溶け去るだろう」と述べている。SED犠牲者である元囚人が刑務所を案内して自らの体験を話してくれる。

   ドイツでは、米大統領選の民主党候補がベルリンの戦勝記念塔の前で選挙演説をすれば、20万人もの聴衆が集まり、効果満点の「ベルリンの壁」の歴史を披露すれば、聴衆が熱狂する。

   東独の歴史もろくに知らない若者や東独の歴史を意図的に忘却、美化する大人たちもベルリンの壁崩壊を称える演説に感激していた。

   ハリウッドスターの如き米大統領候補の巧みなレトリックと演出たっぷりの演説に熱狂する大衆とベルリン自由大学の調査結果に私はドイツ人の危うさを見た。

2008年7月29日)

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