オバサンの独り言
北京五輪が閉幕した。後味の悪いオリンピックだった。 五輪が始まる前からチベット問題、聖火リレー騒動、人権弾圧、言論の自由の抑圧、環境汚染など様々な問題が表面化し、ドイツのメディアは北京五輪開催を懐疑的に見ていた。ドイツチームがあまり振るわなかったことや時差もあり、全体的にそれほど盛り上がらなかったように思う。メディアは一貫して距離を置いた批判的な報道をしていた。 4年に1度の五輪に賭ける選手一人ひとりのドラマは感動的であり、一つ一つの戦いからは熱い情熱が伝わってきた。テレビの前で一喜一憂し、思わず興奮して声援する人が多かったことだろう。 その一方で、中国共産党が国家の威信をかけた北京五輪はスポーツ精神とオリンピック精神に則るどころか、国益のためならどんな偽装も抑圧も恥じない巨大なプロパガンダショーだったという感を拭いきれない。 どうしてもナチス政権下のベルリン五輪との類似性が見えてしまう。圧倒的な動員数と周到に訓練されたマスゲーム、完璧な美の追求、完全に管理統制された組織運営に感動よりも不安を感じたのは私だけだろうか。 中国政府が五輪期間中にデモができる場所と指定した広場でのデモを申請した77歳と79歳の老女が労働教育処罰にされたという事実が中国の建前と本音の矛盾を如実に示している。 五輪開催を機に中国の民主化が促されるだろうという期待は完全に裏切られた。約束していた報道の自由さえも貫くことのできなかった国際オリンピック委員会(IOC)は大きな汚点を残したと言わざるを得ない。五輪期間中の取材妨害にも人権活動家や外国人記者の拘束にもIOCは目を瞑るだけだった。内政干渉と非政治化という口実の下に、人権と言論の自由は踏みにじられたのである。 北京五輪期間中にグルジア紛争が勃発し、うわべだけの民主化を装うロシアが「真の顔」、すなわち「ソ連の顔」を露呈したのは偶然だろうか。グルジア紛争と北京五輪は21世紀もロシアと中国が世界平和のカギになることを暗示している。 開会式でも閉会式でも莫大な数の花火が打ち上げられた。自負心を誇示するかのように、これでもかこれでもかと打ち上げられる花火は仮象の世界の象徴だった。中国の人々の民主化の希望があの花火のように一瞬のうちに消えてしまわないことを願ってやまない。
五輪が終わっても中国における人権や言論の自由に対する抑圧を厳しく批判し続けなければならない。あの77歳と79歳の老女の怒りと絶望と勇気を忘れてはならない。完璧な演出の裏に隠された中国の現実を認識できたことこそが北京五輪の収穫だったといえるのかもしれない。 (2008年8月25日)
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