オバサンの独り言
この夏は職人さんに来てもらう機会が何度かあった。年を取るのは人間だけではない。家屋も住人同様あちこち痛んできたようだ。 地下室の床の修理にきた若い石工職人は挨拶もろくにできず、時間にルーズで、仕事も雑だった。中年の親方も粗雑な人で、この親方にしてこの弟子ありかと呆れてしまった。 職業訓練生の質の低下、職業教育制度と学校制度の問題点がよく指摘されているが、納得するばかりだ。ドイツが誇る伝統のマイスター制度の質も落ちたものだと嘆くこと頻り。 先日は電気工職人に来てもらった。以前にもお願いしたことのあるこの年配の親方は3週間前に年金生活者の仲間入りをしたばかりだという。事業所は閉めたが、一人でできる仕事だけ内職程度にしているらしい。 親方は約束の時間に1分たりとも遅れなかった。作業はテキパキとして、無駄がない。使わない道具はすぐに片づけるから場所を取らない。床や壁が汚れないように気を配り、最後はゴミを全部きれいにまとめて、持ち帰ってくれた。もちろん、仕上がりも申し分ない。 出されたお茶を飲み残すことなく、カップをお盆の上に置いて丁寧にお礼を言った親方は、礼も言わずにカップを階段に置きっぱなしにしていった石工職人とは雲泥の差だ。 これぞドイツの職人だと感心した。偶然に両極端の職人を経験したのかもしれないが、ドイツ手工業の過去・現在・未来を見たような気がした。 ドイツは専門技術者が不足しているという。経済界は競争力の低下を懸念している。企業は不況時には合理化を合言葉に大幅な人員削減をしてきた。景気が良くなると、専門技術者が不足していると訴える。国の学校制度が悪いからだと責任転嫁する。 苦しい時にも長期的展望に立ち、将来のために若い専門技術者を養成して、ノウハウを伝承することを怠ってきたのではないか。身勝手な言い分である。 教育と人材養成はお金と時間のかかる先行投資だ。成果が出るまで忍耐強く待たなければならない。必要な時に必要なだけ優秀な人材を買えばよいという安易な近視眼的考え方では長期的かつ持続的な発展は望めない。 米国並みの報酬を要求し、短期的な株価上昇と目先の利回りだけに囚われているトップマネージャーが多くなった。短期的な収益率上昇とそれに伴う報酬のためには解雇も厭わない。善かれ悪しかれ、ドイツ企業のマネジメントはアメリカ化、グローバル化されてきた。 そんな折、米国金融危機が発生した。ドイツ経済も顕著に冷え込み始めているという。四季の移り変わりの如く、夏が去り、秋が来た。暖冬になるか、厳寒になるか・・・。 今こそ、ドイツ伝統のマイスター制度で養われてきた職人気質、物づくりと人づくりの大切さを手工業のみならず経済界のトップマネージャーたちにも思い起こしてもらいたいものである。 ドイツ的マネジメントの再発見を望みたい。 (2008年9月26日)
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