オバサンの独り言
2011年3月11日14時46分、東北地方・太平洋沖大地震が起きた。マグニチュード9.0という「想定外」の巨大地震は10メートルを超える巨大な津波と福島第一原子力発電所の重大事故という未曾有の大災害を引き起こした。 人が、家が、車が、畑が、町が・・・巨大な津波に呑みこまれていく。人々が培ってきた平和な生活が一瞬のうちに破壊されてしまった。想像を絶する惨状に言葉もない。テレビの前でただただ涙するだけであった。 亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。 日本が地震/津波/原発大事故という3つの同時巨大災害と闘っているとき、ドイツのメディアが真っ先に採り上げたのは福島第一原子力発電所の大事故だった。新聞もテレビも「スーパー・ガウ(Super GAU)」一色だった(独和大辞典によると、GAUとは(特に原子力発電所での)想定可能な最大規模の事故)。 巨大地震発生直後の週末はドイツ各地で原発反対デモが行われた。緑の党の幹部がデモ参加者と笑いながらデモをしている様子を見たとき、心が痛んだ。 ドイツのメディアと原発反対者の中に、自分の主張を達成するためには他人の失敗・不幸も利用する“Schadenfreude(他人の不幸・失敗を喜ぶ気持)” を感じたのは私だけだろうか。 今回はNHKとTBSがインターネットに無料配信してくれたので、世界中で日本のテレビ報道を一日中見ることができた。ドイツのメディアが不安を煽る原発事故中心の一方的な報道ばかりだったこともあり、NHKとTBSには大変感謝している。 外国で生活する日本人にとって、日本語による日本発信の情報は貴重である。特に今回のように日本人全員が一丸となって難局を切り抜け、日本を復興させなければならない国家的緊急時には尚更だ。 ドイツメディアと野党が原発事故に飛びついた背景には政治的意図があった。ドイツではいくつもの州議会選挙を控えており、原発反対は格好のテーマだったのだ。実際、3月20日に行われたザクセン・アンハルト州の選挙では、緑の党が得票率を前回(2006年)の3,6%から7,1%に伸ばし、初めて 9議席を獲得した。 選挙を考慮してか、ドイツ政府が国内にある古い原発 7基の一時停止を発表すると、メディアも原発事故一辺倒の報道を軌道修正し始め、厳しい避難生活の中で耐え忍ぶ被災者についての記事や論評も見られるようになった。 「日本政府は事実を隠蔽し、過小評価している」、「日本人は原発事故、放射性物質の恐ろしさを十分に認識しておらず、危機感がない」、「日本人は政府の言うことを鵜呑みにしている」というのがドイツ人の一般的な見方である。思いあがった優越感が透けて見える。 「なぜ日本人はあんなに冷静にしていられるのか」、「なぜパニックにならないのか」、不可解なのかもしれない。事実、パニック状態に陥ったドイツ人はいち早く東京、そして日本から脱出したし、ルフトハンザ航空のドイツ人乗務員は日本行きを拒否した。これこそ他国から揶揄される“German Angst“というのだろう。 日本から避難してきたあるドイツ人ジャーナリストは日本人の「不気味な平静」を「文化的な洗脳の結果」とまで言ったという。その高慢さには憤りを覚える。 未曾有の大災害時にドイツ人の知ったかぶりやパニックは不要だ。冷静な判断と行動こそが求められている。今、日本が必要としているのは思いやりの気持ちと温かい支援なのだ。 将来のエネルギー政策、原発政策、地震・津波対策の見直し、「想定外」を想定した対策の構築はこれからじっくり議論し、実現していく課題だ。しかし、今は最悪の事態を回避すべく、国家的危機を克服すべく、国民総力でがんばるしかない。 妻の遺体が見つかったとき、夫は「悔しくて、悔しくて・・・」と泣いていた。無念こそが被災者一人一人の思いだろう。繰り返される大災害にも負けずに生きてきた人たちが再び被災者となり、耐え忍んでいる。日本中の、そして世界中の支援が一日も早く被災者に届くことを願っている。 自らも家族や家を失っているにもかかわらず、避難所でボランティア活動をし、お年寄りを励ましている若者たちの姿にみんなが勇気と希望と元気をもらっている。どんなに厳しい条件下でも助け合い、支え合う精神が生きている。 そして、原発では東京電力、関連会社、自衛隊、東京消防庁の人たちが命がけで作業を続けている。成功を心から祈りたい。 「絶対に町を復興させます」と誓う被災者たちを精一杯支援しよう。
がんばれ、ニッポン! (2011年3月22日)
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