オバサンの独り言

 

   信じられないようなことが起こった。

    シュヴァインフルト市にある私立の上級専門学校(Fachoberschule)の生徒27名が卒業試験(Fachabitur)の筆記試験で全員不合格になったというのだ。この卒業試験に合格すると専門単科大学入学資格を取得する。

    2011年創立の同校では、この27名が最初の卒業生になるはずだった。しかし、2名だけが口頭試験で辛うじて合格したものの、あとの25名は不合格で卒業できなかった。

    数学、経済、技術などの主要科目でクラス全員の平均点が15点中1点以下(0,30,8点)だったというのだから救いようがない。

    落第生たちは、試験問題の4分の1は学校で一度も聞いたことのないテーマだったとして、学校側の受験準備の悪さと情報不足を理由にあげている。

    学校側も落ち度を認めた。公立の上級専門学校に入学できる成績でない生徒を入学させていたこと、生徒の欠席が多かったこと、休み中の補習授業にもほとんどの生徒が参加していなかったことなど、両者の怠慢が浮き彫りになってきた。要するに、どっちもどっち、自業自得ということである。

    結局、同校は廃校となり、落第生は試験を受けて公立の上級専門学校へ編入するか、職業訓練を始めることになったという。

    私立校の伝統のないドイツならではのハプニングであった。元々ドイツ人は私立校を毛嫌いしているが、その信頼はさらに低下してしまったことだろう。

    もう一つ、卒業試験に関する興味深いニュースがあった。

    ドイツでは州ごとにギムナジウムのアビトゥーア(大学入学資格を取得する高校卒業資格試験)の方式が異なっているが、いよいよ2016年/2017年から全国統一試験になるというのだ。試験のやり方、評価基準も統一されるらしい。全国文相会議が決定した。

    但し、全国の高校生全員が同一の卒業試験を受けるわけではない。主要科目のドイツ語、数学、英語、フランス語の試験問題を中央にプールして(自然科学は2018年から)、その中から各州が好きな問題を取り出して独自の試験問題を作成するのだそうだ。従って、州ごとに試験問題の内容が違う。学校の休みが州ごとに異なるため、全国で試験日を統一することもできないという。 

    では、試験問題のプールと評価基準の規定が高校卒業試験の質の向上、いや確保につながるのかというと必ずしもそうではないようだ。この規定には拘束力がない。バイエルン州、ヘッセン州、ザクセン州は州協定を結んで義務化することを求めているが、他の13州はこれに反対している。依然として連邦制の壁は厚い。

    全国一斉に同じ日に同じ試験をして中央機関が採点するのではない限り、本当の意味での全国統一試験にはならないし、正当な比較はできないだろう。しかし、ドイツではそんな全国統一試験は幻想にすぎない。

    全国文相会議が決定した全国統一試験の目的は試験問題の水準と評価基準をできるだけ同じにするということであって、水準の高低はうやむやにされている。

    要するに、どの州の生徒も合格できるようにするために、ブレーメンの生徒でも合格できるまでに水準を下げるということになるらしい。最低水準に合わせるということである。高校卒業資格の質を下げてでも高校卒業率を高めようというのが文相たちの魂胆なのだ。

    近年、大学進学者が増えている。教育における不平等、機会不均等の解消は正しい道である。社会全体の教育水準を向上させ、大学への門戸を広げることも望むところである。

    その一方で、優秀な人材の養成も求められている。高校卒業率、大学進学率ばかりに気を取られて、優秀な人材の養成を怠るならば、ドイツの行く末は悲観的だ。高校卒業率が上昇するにつれて高校卒業資格の水準が低下していること、すなわち質より量の弊害を専門家も認めている。

    手をつないで全員一緒にゴールイン式の「競争アレルギー」は「平等」の意味を履き違えているのではないだろうか。

    教育水準の底上げと優秀な人材の養成を両立させるためには、学校・大学の差別化が必要だと思う。各人の能力、個性に合った学校を選べるようにすることは決して不平等ではない。一人ひとりの個性と能力を無視した教育こそが機会不均等になるのではないだろうか。

    「今の若者は・・・」という言葉が出てきたら、年を取った証拠だといわれる。ドイツ人が誇るアビトゥーアの質の低下が年寄りの杞憂に終わればよいのだが・・・。

 2013年7月19日)

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