オバサンの独り言

 

   サッカーワールドカップ2014はドイツの優勝で幕を閉じた。

    24年ぶり4度目の優勝に国中が歓喜に沸いた。第二の故郷になったドイツの優勝を心から嬉しく思う。

    今回は時差に加えて延長戦が多かったので寝不足の日が続いたが、テンポの速い新しいサッカーは見応えがあった。猛暑の中で熱戦を繰り広げる選手たちの気迫にも感動した。

    サッカーワールドカップに付き物の国歌斉唱では、国民性の違いが表れて興味深かった。中南米の選手たちは音楽が終わっても大声で歌い続けるほど熱狂的だ。米国の選手たちも誇りをもって歌っているように感じられた。

    ドイツチームは歌う選手と歌わない選手が完全に分かれていた。二重国籍の選手だけが全員一度も国歌を歌わなかったのである。

    Öは両親がトルコ人で、ドイツで生まれ育った。Kは母親がドイツ人、父親がチュニジア人、Bは母親がドイツ人、父親がガーナ人で、やはりドイツで生まれ育っている。Pは両親がポーランド人で、2歳の時にドイツに移住した。ドイツには彼らのような若者が多い。

     ドイツは日本と同じように、第二次世界大戦の暗い過去を背負っている。だから、戦後は国歌斉唱の機会がほとんどない。

    子供たちは学校の授業(歴史や音楽の授業)で国歌を習うが、それをどの程度徹底させているかは州ごとに異なるようだ。もちろん、学校行事で国歌斉唱はない。保守的なバイエルン州でさえキリスト十字架像は学校内に飾られているが、国旗はない。

    子供たちが学校で国歌を習うことを義務付けるべきだと主張する保守系政治家もいるが、今後もドイツが国歌斉唱を義務付けることはないだろう。「ドイツ極右化!」の警報が鳴るからだ。

    唯一の例外はサッカーなどのスポーツイベントである。2006年にドイツで開催されたサッカーワールドカップがドイツに国歌と国旗を再生させた。あの時から選手と観客が国歌を歌い、国旗を振ることが自然になったのではないだろうか。

    家々の窓やベランダから国旗をぶら下げ、車に小さな国旗を付けて走る光景はサッカーワールドカップとUEFA欧州選手権のときだけである。この時ばかりはドイツ人も正々堂々と国旗を振って国歌を歌うことができるのだ。

    国旗と国歌が全体主義や軍国主義に悪用されてきたことは歴史が示している。しかし、国旗掲揚/国歌斉唱イコール極右化ではないことも事実である。

    悪用を防止するために大切なことは、自国の歴史を偏見なく直視して、事実に忠実な歴史をしっかりと子供たちに伝えることではないだろうか。

    ドイツ人の子であれ、移民の子であれ、二重国籍の子であれ、自分が住む国、国籍を取得した国の歴史、国歌を学ぶことはその人の人間形成、アイデンティティーの確立にも重要だと思う。

    歴史を正しく学ぶ誠意があれば、他国の批判に怯む必要もない。過去に捕らわれずに、胸を張って前進すればいい。

    国歌斉唱や国旗掲揚を強制しても意味がない。帰属意識は各人の内面から発するものでなければならないからだ。

    次回ワールドカップでは二重国籍の選手の中でドイツの国歌を歌う人がいるだろうか。

 2014年7月17日)

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