カフェーパウゼ

ドイツ語の Kaffeepause (カフェーパウゼ)は、コーヒーを飲むための休憩、コーヒーブレークのこと。このコーナーは読者による投稿ページです。感じたこと、思ったこと、考えたこと、悩んでいること、怒っていることなどを自由に書いて、こちらに送ってください。お待ちしています。 

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健康寿命

 長寿の誉れと騒がれたきんさん(107才で没)、ぎんさん(108才没)のあの元気な笑顔が記憶にあると思います。

 近頃、その「ぎんさん」の4人の娘たちが賑やかにテレビの健康番組などで活躍しています。上から97才、93才、90才、88才で、その姉妹の一人が車を運転し、日常の買い物をし、一緒に食事を作り、わいわいユーモアのある会話をしながら楽しく食べている様子が映されていました。

 思わず笑ってしまう会話を聞きながら、おばさんも高齢になっても「あんなふうに生きられたらいいなー」と感心し、これこそ「健康寿命の実例」だと思いました。

 健康寿命とは:

WHO(世界保健機関)から2000年に提唱されました。平均寿命のうち、健康で活動的に暮らせる期間指標で、平均寿命から、衰弱病気痴呆などによる介護期間を差し引いた寿命のこと。すなわち病気で寝てきりになったり、認知症などにより自立できず、他人からの日常的な世話が必要な介護期間を差し引いた寿命のことです。ちなみに日本の2012年の平均寿命は男性79,55歳、女性86,30歳です。健康寿命は男70,42歳、女73,62歳で、平均寿命との差は男は約9歳で女は約13歳です。

 健康寿命を延ばすためには、バランスのよい食生活、適度な運動と休息で生活習慣病である高血圧や糖尿病を予防し、タバコ・酒を控えることなど健康への関心を持つこと、そして更に大切なことは、「ストレスをためない」ためにいつも「笑顔で過ごす」ことだそうです。

 今年も残り少なくなりました。来年も一人ひとりが健康に心がけ、健康寿命の「平均値を上げる!」よう努力して、いきいきとした豊かな老後に結びつけていこうではありませんか。

それでは皆さんよいお年を!! 

大和おばさん

20121221日)

 

 ファミコン 

   9月の中旬になってもこの暑さ!台所で火など使えばわが身を蒸される思い!

   そこでおばさんは、冷たいビールも呼んでいることだし、夕食作りをちょっとずるしてファミリーレストランに行くことにしました。

   そこで耳にしたのはファミレス、コンビニ言葉です。略語が好きな日本人のこと、ファミコンともいうらしいです。ファミリーレストランやコンビニエンスストアーから発した若者の接客用語だそうですが、今やスーパーやデパートまですっかり世の中に定着した感があります。

   ひま〜なおばさんはレストランの注文から会計まで、いちいちけちを付けて突っ込んでみたくなりました。小心者のおばさんのこと、大声を発することは出来ず全て「内心」ですが…。

   その流れを追って

* レストランの中に入るなり一斉に、「いらっしゃいませ。こんばんわ。」

  「いらっしゃいませ!だけでいいのでは?まっ、いいか。」

* お席のほうに案内します。

  「そうね。そっちの方角にして。お食事するから駅のほうの案内は遠慮するわ。」

* ご注文は以上でよろしかったでしょうか?コーヒーの方は食後でよろしかったでしょうか?

  「よろしかったでしょうか?・・・ったって今日はじめて注文するのよ。」

* お待たせしました。サラダのほうと若鶏のから揚げになります。

  「えっ、なりますって、若鶏が親鳥に変身するの?」

   レジでは

* 1万円のほうからのお預りでよろしかったでしょうか?お先に5千円のほうのお返しになります。

  「ほんと、あっちのほうだかこっちのほうだか、これで日本語はよろしかったでしょうか?」

と、まあこんな調子でした。ちなみに生ビールのほう、美味しかったです。

   もう一つおまけ!・・・於けるコーヒーショップにて、

* ホットドックでお待ちのお客様!

  「〜で、ってホットドック駅で待ってるの?」

大和おばさん

2012925日)

 

B級グルメ

 今、日本はB級グルメブームで、何かと関連付けて各地で催されています。焼きそば、ラーメン、うどん、カレー、焼肉など、その地方や町で普段食されていたものや新たに創作して「ご当地B級グルメ」として町お越しや観光招致のために役立てているようです。どこの会場も若者、家族連れで溢れ、入場待ちがあるほどの大人気です。

 なぜB級にするのか? 私ならラーメン大好きだから、ラーメンはA級にすべきだと思うけど・・・。まっ、個人的な好みやB級グルメの起こりはさて置き、最近おばさんの住む近くの公園で「カレーフェスティバル」なるものが催されたので行ってきました。

 前置きが長くなりますが、実はおばさん、4月に埼玉から横須賀に引っ越しました。ここは戦前は日本海軍の町として、その後はアメリカ軍の接収地や海上自衛隊の町として栄えた町です。アパートの目の前は海で、多くの軍艦や原子力潜水艦が碇泊しています。この町のことはまたの機会に報告しますね。

 というわけで横須賀は日本海軍が食したという「海軍カレー」なるものをご当地グルメとして売り出し、毎年、全国「カレーフェスティバル」が催されているようです。

 そこで、かつては若かった(!)おばさん友達3人で会場をのぞいてみることにしました。すごい!おびただしいテントが立ち、そこに人、人、人・・・。人気らしきテントには「最後尾はこちら」というプラカード、そしてその先は長蛇の列。

 カレーの他にも「全国ご当地グルメ」というコーナーが設けられ、今や有名な「富士宮焼きそば」もあり、その中に「埼玉のゼリーフライ」というのがありました。うっ、ゼリーのフライ? 知識欲旺盛なおばさん達は早速質問してみました。「おからを固め、こんがり揚げると「小判」に見え、銭が訛って「ゼリーフライ」です」・・・。な〜るほど。

 そして人の波にまかせてぶらぶら進むと、それぞれ工夫をこらしたであろうネーミングで「千葉のたこカレー」、「宮崎チキンカレー」は分りやすいが、「静岡の深海カレー」、「長野の大鹿村ジビカレー」、「奥美濃カレーひっちゃく棒」となると、一体どんなもんか? 人を押しのけて進むのが得意なおばさん達もテントに近寄ることならず確認不明。

 そして、おばさん達もそろそろ試食してみようと次の長い列のテントの先に目をやると、「140年前の幻の「軽便カレー」限定600食」とある。そして「けいべんカレー」と振り仮名が付いていた。おばさんは「けい」の部分を一字間違えて「けん」と読み取った。でもとっても心苦しくて音読はせずにいると、他の2人もおばさんと同じように読んだらしく、3人で目が合ったとたん大笑いになった。

 「やだー、ネーミングがちょっとねえ。このカレーはパス。でも、どうしてこんなに大勢並んでいるの?」。若者は読み間違えはしないのでおばさん達のように尾篭で不純な考えはないらしい。

 おばさん達は並んでいる人が一番少ない「門司港の焼きカレー」を食べました。カレーの上に焼いたチーズがグラタンのように乗っていてとってもおいしゅうございました。おばさん達にはこんなにおいしいのになぜ若者は並ばないの?

 お粗末さまのB級グルメ報告でした。

大和おばさん

2012523日)

笑って健康!

 皆さん、日頃笑って生活していますか?

 おばさんは「笑い」がもたらす健康効果という記事を久しぶりに目にしました。

 それによると、笑いはまず脳の働きを活性化することで自律神経のバランスを整え、血行をよくして免疫を強化することで感染を予防し、究極なところでは、がんになりにくい身体にする。しかも笑うとエンドルフィンというホルモンが幸福感をもたらし、また鎮静作用もあり、がんの痛みのために使われるモルヒネの鎮静効果より数倍の効き目があるということです。そこで、痛みを緩和するための治療に積極的に使われるようになりました。

 でもおばさんが一番気に入ったところは、笑うことで新陳代謝が高まり、いつまでも「若々しく」いられ、認知症予防にもなるという項目でした。

 他にも糖尿病、高血圧、心臓病などの生活習慣病も予防するという優れ者。もう、いいことずくめです。

 そしてこうありました。「毎日、自分で面白いと思ったことを積極的に取り入れて、面白いことが無かった日は作り笑いでも効果あります。そんな日は鏡に向かって「にっこり」してみてみましょう」。

 そこで、2010年にカフェーパウゼに載せた「笑う門に皺きたらず」の中の「笑いトレーニング」を再度引っぱり出してみました。

@朝、顔を洗った後など、鏡を見て「チーズ」とにっこり!

A筋肉をほぐしたところで自分の好きな笑顔をみつけてにっこり!

B「あ・い・う・え・お」と声を出しながら口を大きく開け、顔の筋肉を動かした後、目がなくなるまで細くして笑う!

C最後は思いっきり、お腹から大声で作り笑いをする!

 寒いですね。でも笑って過ごせば身も心も暖かく春を待つことができるかもしれません。

 但し、Cを実行する時はお一人でこっそりどうぞ。「あぶない人」と思われかねません。お気を付けて・・・。

大和おばさん

2012222日)

2011

 2011年が終わります。今年は311日を境に日本人にとって、おばさんにとっても特別な年になりました。

 おばさんを筆頭に、大震災以前はエネルギーの節約など呼びかけられても電気や水の使い方に気をとめることなどまずありませんでした。それに、金銭や物を充実することを優先し、無駄な物が溢れる中で生活をしていました。

 しかし、被災にあい、家族を含め全ての物を失った人々を目の当たりにして、節約することや物の価値を違った角度から見ることができ、平穏な日常の暮らしがいかに大切であるかを再認識した年でした。

 また、政策的にはいまだに放射能問題も災害復旧も遅々として進まず、その上ここにきて北朝鮮の問題など、何もかも先が見えない状態ですが、多くの人々が政治に関心を持つようになりました。

 とは言え、何も出来ないおばさんですが、来年も各方面にしっかり目を向け、自分のできることを行動に移していこうと思っています。

 話は変わりますが、今年はドイツで開催されたワールドカップで「なでしこジャパン」が大活躍。おばさんはたまたま7月はドイツに滞在中でした。テレビに向かってあらん限りの大声張り上げ応援。う〜ん、罵倒もしたかな。御免!その結果の(?!)優勝です。「大和なでしこおばさん」も鼻が高いというもの。来年のロンドンオリンピックの活躍が今から楽しみです。

 それでは皆さま、よいお年を!そしてよい新年を!

大和おばさん

20111230日)

 

ヴァッサーブルグ

 おばさんは本帰国してもドイツの生活を楽しみに毎年夏にヴァッサーブルグのペンションに滞在しています。

 今回、友人がこの町を訪れ、紹介してくれましたので、ご覧下さい。

  http://4travel.jp/traveler/eraakoo/album/10587719/

大和おばさん

2011826日)

 

役に立たない話 (おばさんの姉の電話から)

     姉は娘夫婦とその孫と暮らしている。世の中、嫁しゅうとのバトルは厳しいものと決まっているが、実の娘だって遠慮が無い分、結構すごいらしい。

    そこで、おばさんは姉の言い分(愚痴)を電話でたびたび聞いてやっている。たいがいは「あっそう、へー、ふーん」と、この三語で答え、上の空の聞き流し・・・。

    ある時、姉が「福井県のお義父さん(娘の舅)」が白鳥をとって送ってくれたのよネー」と、言うのが耳に入った。

    おばさんは「な、なに!スゴッ!白鳥をとって送ってきたって? 足を縛ってか、吊り下げてか? 羽根はどうした?」・・・。おばさんは子供の頃イナゴに蜂の子、それにスズメまでは食べた記憶があるが、白鳥はない。

    「福井は白鳥を食べるんだ。ふーん。ところ変わればな〜」と内心大いに驚いた。

    それに続けて姉が「それをなかなか聡子()が見せてくれないのよ〜」というので、おばさんは思わず「そりゃあ戸惑うは!冷蔵庫に入れっぱなし?」と、聞こうとした。待てよ、なおごちゃごちゃ言い続けている姉の話がどこか変だ・・・。

    そこでおばさんは気付いた。娘のPCに白鳥を「撮って」送ってくれたのに、それを娘がなかなか打ち出して「見せてくれない」話だと。やれやれ…トホホ!

    これに似た役に立たない話をもう一つ。

    学生が入社試験の面接で緊張のあまり「家業は何ですか?」との質問に、「かきくけこ」と答え、何で「カ行」を尋ねられたのか、ずっと後まで解からなかったとか・・・。

    はい、お粗末さまでした。

大和おばさん

2011624日)

 

断捨離(だんしゃり)

  ある時、本屋の前を通りかかると、「断捨離」というタイトルの本が派手な宣伝とともに山積みになっているのを目にしました。おばさんは「だんしゃり」と読み、日本の仏教もいよいよ啓蒙活動を始めたかと・・・。「仏舎利」と響きが似てますよね! 似てないか、あわてもん!

  皆さんは知っていましたか? クラターコンサルタント「やましたひでこ」という女性が提案した整理整頓の「生活技術」です。

     断…入ってくるいらない物を断つ

     捨…家にずっとあるいらない物を捨てる

     離…物への執着から離れる

  つまりため込んでいるいらない物を捨て、家をきれいに片付けることにより、将来の不安や、過去への執着を手放すことで、今、現在を大切に豊かに生きることができる「技術」なんだそうで、単なる「捨てて片付ける」ということと一線を引くらしいです。

  東北大震災前は本やCDが沢山出回っていました。おばさんは震災後持ち物への考えが多少変わりました。

  この種のCDや本を買ったとして、感心はするものの、技術は身に付かずにまたそれを溜め込んでしまいそうなので、もう少し「捨てる」決心がついてからにいたします。はい!

   きっと皆さんも物持ちがよく、多くの物の中で生活していることと思います。関心のある方は実践してみて下さい。

大和おばさん

2011524日)

 

今年の花見
  「さくらだという/
春だという/一寸お待ち/どこかに/泣いてる人もあろうに」・・・山村暮鳥、という詩に新聞のコラムで出会いました。今年は桜の季節をしみじみとこの詩のごとく過ごしました。

  おばさん達は今年も例年通り、東京の外濠公園の満開の桜を楽しんだ後、レストランにくり込みました。

  いつもは取りとめのもない話に「花を咲かし!」、大きな口を開けて笑い合うおばさん達も、このたびばかりは神妙に今までの過ごし方を反省し、これからの生き方を話し合いました。

    いわく、私たちは今まであまりにも宣伝に踊らせ、多くの物を買い込み、すぐに飽き、そのままため込んだり捨てたりしていた。また、無駄な電気や水を気づかずに使かっていた。

    この災害が無ければ、誰に言われても、まず改めることはなかっただろう。

    また、被災し、全てを失った人のことを思う時、少しの財産などに執着しなくなった。

  そして、自分たちが平穏に生きている身の有難さを感謝し、健康に留意し、堅実に生きいきと過ごすことが、結果的に被災地に貢献できることなのではないか・・・と。

   大和おばさん

2011423日)

 

大災害 

 今、日本は地震後の津波、原発事故と、空前絶後のような災害に襲われ、世界もかたずをのんで見守っています。日々報道される被災地の新聞やテレビの言葉をのむ惨状や、その人達のインタビューに何度涙したことでしょうか!

 探し求めていた家族と再会できた時、危ういところで救助された人々、また新しい命が誕生し赤子の無垢な顔が写し出された時は感動と安どの嬉し涙を。でも多くは悲惨で悲しい涙ばかり。地方の素朴な言葉で思いを語られるとひとしお苦悩や切なさが伝わってきます。

 でも私たちはただ見ているだけで何んの手助けも出来ないのです! もどかしいばかりです!

 今、無力なおばさんができることは、心ばかりの義援金と、今まで当たり前のように「湯水のごとく!」使っていた電気や水道の使用を節約することぐらい。特に電気は入れっぱなしのスイッチを抜き、パソコンをこまめに消すなどしてみましたが、大した支障がないことに気づきました。

 この機会に今までの生活全般における無駄使いを反省し、シンプルな暮らしを心がけることで被災地の方々に協力したいと思いました。ささやかでも一人ひとりが心がければ遠まきながら被災地の力になれるものと信じて

 そして亡くなられた方達のご冥福をお祈り致します。

 皆様のお知り合いの方がたはご無事でしたか? ご無事であったことを切に願っています

大和おばさん

2011322日)

 

大笑いは認知症予防の特効薬

  一日一回の大笑いは認知症の特効薬という情報と諺をお伝えします。

* 笑いは脳にほど良い刺激を与え、脳の活性化に大いに役立ちます。

  笑うことで脳の隅々まで新鮮な酸素や栄養がいきわたり、脳細胞がいきいきしとし、認知症を予防する。反対に、くよくよしたり、怒ってばかりいると、脳の中に有害ホルモンが発生し、脳細胞を死滅させ、老化を促進するため、認知症になりやすい。

「笑いは百薬の長」

* 笑うことでストレスを解消すれば自律神経のバランスがよくなり、認知症の引きがねになる高血圧や心臓病など生活習慣病を予防する。

「一日一笑医者いらず」

* 次はおばさん達への朗報です。笑いは認知症予防ばかりでなく、顔のしわやたるみを予防する。

  笑うことで顔の筋力アップをします。無表情や怒ってばかりいると筋肉を使わないため、結果的にしわができ顔全体がたるむ。

「一つ怒ると一つ年をとり、一つ笑うと一つ若返る」

* 気分が落ち込んでいる時も鏡を見たりして、にっこり笑うしぐさをすると、脳内で気分をよくする物質が分泌し、徐々に明るい気分になり、脳が若返る。

「笑うかどに福来る」

 前回の「オバサンの独り言」と「ドイツのニュース」の記事の中で、認知症やその高齢者の介護、医療費問題をとり上げ、「なるべく要介護にならないために、一人ひとりがバランスのよい生活をして予防することが長期的な施策につながる」とありました。

 それに加え、笑うことも予防につながるのであれば、一日一回大いに笑って若さも保ちましょう。

大和おばさん

2011125日)

 

やまとおばさん 

  私、浦島太郎子は2008年にドイツから本帰国しました。早くも二年が過ぎ、すっかり典型的な日本のおばさんになりました。

  約13年のドイツ生活をゆったり優雅に(?!)過ごし、帰国後の日本は「ほー!へー!」と感動と驚きの連続でしたが、あの浦島太郎のような状態は今ではすっかり過去のものとなりました。 

  思い起こせば(オーバーな!)スーパーマーケットの品揃え、陳列の美しさ、レジ打ちの早さにうっとりしたのも今は昔。この頃はベテランそうなレジ係りの列に素早く並び、少しでも早く買い物を済まそうとします。

  時に前に並んだお婆さんがレジ前にきてから財布をごそごそ探し始め、小銭がなかなか取り出せなかったりすると、「並んでいるうちに用意しておけばいいのにっ」と内心舌打ちし、他の客やレジ係の「早くしてっ」といった態度に同調している自分に気づき、「ドイツではこれは無かったな」と、ちょっと反省もします。とは云うおばさんも、最近もたつくことが多く、人の事は言えないのですが・・・。

  ちなみに先頃、新聞に東京のスーパーマーケットで「ゆとりレーン」なる高齢者専用レーンを設けたとありました。このコーナーでは高齢者は「ゆっくりもたつきなさい」と云うことか。まあ、これもおばさんにはちょっと引っ掛かるものがあるのですが・・・。全てが「ゆとりレーン」のドイツのスーパーマーケットもいかがなものかとも思うのですが・・・。

  ともあれ、時には「駆け込み乗車はお止め下さい」の放送を背中に電車に飛び乗り、座席に座ったとたん居眠りして隣の若者に「ちょっと、おばさん!」とばかり小突かれ、目が覚めている時は携帯電話を覗く。満員電車には背中とお尻をぐいぐい押しこんで難なく乗り込むかつて身に着けた術べも取り戻しました。

  などなど、れっきとした「やまとおばさん」ができ上がりました。そこで、「浦島太郎子」はここいらで終わりにして、また機会がありましたら、斜めからみた日本の情報を送らせて下さい。

  たわい無い情報を長い間見て頂き、ありがとうございました。 

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

20101222日)

猛暑!

  日本は観測史上始まって以来の猛暑の酷暑、おばさんの住む埼玉県は自慢ではないが「暑さランキング」では常に上位、この夏も負けてはいません。おばさんが8月に帰国してからこの原稿を書いている9月8日の今日まで4週間余り、がんがん照りで一滴の雨も降らさず面目を保持しています。今朝の久しぶりの雨は台風の余波で蒸し暑いものの大地もおばさんもほっと一息ついていますが、台風が去った後は元通りとか。

  ミュンヘン滞在中は7月に暑い日があったものの8月9日に帰る頃はセーターが手離せないくらい涼しく、覚悟はしていたものの成田到着後の猛暑、酷暑は予想だにしていませんでした。

  火焔地獄とはこのことでしょうか! おばさんはまだ地獄には行ったことはないのでわかりませんが・・・、たぶん行ったとしても帰れないので体験をお話しできないでしょうが・・・、ちと、話が飛び過ぎですか? でもその状況を説明させて下さい。

  我が家は5階建ての5階。屋上を覆うソーラーパネルからの熱、それに日頃はベランダから富士山が見えるのが自慢・・・ということは遮る物が無く、窓を開けると、延々と広がる戸建の屋根の熱気を集めた熱風が入り込んでくるというわけです。

  その上、連日35℃だの37℃だのの日当たりは良好、湿度充分完備!です。そのため連日部屋は昼36℃にもなり、夜中になっても33℃を下りません。エアコンの部屋から出たとたんサウナと蒸し風呂を兼ねたようなもの、どっと汗が吹き出るのです。来る日も来る日も・・・、頭くるくる狂いそうです。あー猛暑の酷暑!バイエルンの涼秋の森の中を歩きたい!

  そこで、せいぜい埼玉の熱中症患者の数値を上げてはならじと昼も寝る時もエアコン付け(漬け)で、冬眠ならぬ「夏眠!」しているところです。

  こんな状況でも食欲はいっこうに衰えず、鰻を食べなくても体重は鰻昇り。しっかり脂肪が付いて「お腹ポッコリ」。ここにも猛暑、酷暑が禍わいしているこの頃です。

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

2010917日)

ミュンヘンにて

 8月1日に、7週間滞在したゲッティンゲンから4時間弱でミュンヘンへと移動しました。

   ICEから地下鉄に乗り換え、下宿へとたどり着きました。なんどもスーツケースと一緒にエスカレーターから転げ落ちそうになりながら・・・。

   下宿では、大家さんが笑顔で迎えてくれ、お庭にてコーヒーを頂きながらお話を・・・。あ〜 ドイツ語が話せればもっともっと楽しいだろうに・・・。

  ミュンヘンは大きな街です。皆さん忙しそうです。ここに、2週間の滞在。学校の余暇コースで、英国庭園、ピナコテーク・デア・モデルネへ行きました。来週は、ノイエ・ピナコテーク、ドイツ博物館見学です。

  明日は、日曜日。アルテ・ピナコテークへ行ってきます。19世紀最大の美術館と紹介されています。そして嬉しいことに日曜日は1オイロで入館できます。ゆっくり鑑賞してきたいなぁ〜。でも混んでいるのかな〜。

Maa

2010828日)

 

通信簿

 本日を持ちまして、ゲッテインゲンの語学学校が修了しました。とっても久しぶりに通信簿を頂きました。「どんなレベルだった?」などと通信簿を見せ合ったのは、何十年ぶり?

 私たちは、すばらしい先生に恵まれました。午前中の3コマ、私たち生徒を飽きさせません!そんな素敵な先生に、赤いアンスリウムの花とチョコそしてカードを送りました。 同じ内容のお礼の言葉をそれぞれの母国語でカードに書きました。アラビッシュ、フランス語、英語、ドイツ語、日本語と様々な言語で書き綴りました。

 短い8週間の期間でも、お別れは寂しいものです。16人中、私も含めた5人が次のコースの受講をせず旅立ちます。最終日の今日は、ケーキとコーヒーでちょっとしたさよならパーティーをしました。人って温かいのだなぁ〜 としみじみ。

 長くて短くて、短くて長いゲッテインゲンのレッスンが終わりました。

 ありがとう!!

Maa

201081日)

 

ゲッティンゲンから

 カフェパウゼで一休みすることに決めました。

 7月18日現在。ドイツへ来てから42日目です。予定では、2011年夏までの期間をドイツで過ごす予定です。

 今は、ゲッテインゲンの語学学校に通っています。8週間のコースです。残すところあと1週間と少しになりましたが。

 日本を発ってからずっと緊張して過ごしていました。ドイツに知り合いもなく、一人で生活していくこれからの時間を考えると、前に進むことができませんでした。心も体も硬く神経も緊張し、さぞかし不安だらけの表情をしていたに違いありません。「頑張る」ことを一生懸命していました。

 そして、私が折れそうな時に、学校と街の中で日本人と出会い、日本語を話すだけで少しずつ変わっていきました。話す事で私の心の開放になりました。「私は柔軟性もあり順応性もある」と思っていましたが、まったく頑なな人間だったのです。

 友人たちからのメッセージの「リラックス、リラックス!!」が一番必要だったのです。まだまだリラックスできてはいませんが…。

 現在はですね、少しずつ行動範囲が広がってきたのです!そして本気でドイツ語の習得を誓ったのです!!「言葉」の大切さを十分理解したので…。

 8月1日より2週間、ミュンヘンの語学学校に移動します。荷物を持って移動…これもかなりのストレス度なのです。

 気分を変えて、リラックスできる私になります。

 「リラックス、いつもの私でいる」

 ゲッテインゲンは、こじんまりと素敵な街です。部屋の窓からは大きな樹が見え、鳥やリスやなんと猫までも、その樹のさくらんぼを食べに来ます。

 昨日は一日曇り雨空でしたが、今日は快晴のようです。

 さぁ 元気だしていかなきゃ!!

Maa

2010722日)

 

「ちょっとネ!」

 おばさんはドイツ大〜好き!素晴らしい大自然、歴史的建造物と美しい街並み、無料なのに快適な高速道路等など。

 先日のワールドカップサッカーもテレビの前で気勢(奇声!)を上げ、点が入ればでんぐり返り、ドイツ人並みに「狂気の沙汰」でドイツチームを応援しました。

 何事もなく過ごしているドイツは最高の居心地です。日本の友人にドイツの感想を聞かれれば「ドイツは旅行には最高!でも住むのはちょっとネ」と必ず答えます。「ちょっとネ!」のトラブルがあると、「この、この〜どこのドイツだ!どついたるッ!」と毒つきたくなるのです。

 先月、レンタカーが人里離れた野原で突然故障して「ドイツの長〜い一日」の出来事を報告しましたが、この後の事後処理も結構手ごわいものでした。

 金曜日の故障だったので、土日はあきらめ、次の月曜日にレンタカー会社と交渉しようと電話すると、「ビッテ ヴァルテン ズィ(お待ちください)」の後、騒々しい音楽を長々と聞かされ、ようやく電話がつながったと思いきや、今度はあちこち廻されるなどして、話がなかなか繋がらない。

 それでもようやく目処が付き、次は要件をメールでやり取りすることになりました。されど、約束のその日になっても3日経ってもない。そこでまた電話すると、「係がいない。私は知らない」などなど。その後もごたごた。終わるまでには長〜い日にちを要し、おばさんの連れ合いは「ふざけるなっ」とすっかり燃え上ってしまいました。

 ドイツで長年暮らしていた時もこの「ちょっとネ」が度々あり、まあこの国はこんなものと諦めていました。でも、今のおばさん達は日本でコマーシャルに使いたいような「懇切丁寧、かつスピーディー、快適サービス」を受けて暮らしているだけに、今回の件はトホホのトホホ、ほとほとうんざりでした。

 この「ちょっとネ!」が「もうちょっと!」改善されれば、さらにおばさんは「もうちょっと」ドイツが好きになれるのですが・・・。

 首相のメルケルさん、どう思われます? この問題、何んとかできません?

 次回おばさん達がドイツに来るまでに何とぞご改善を!

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

2010722日)

 

ドイツの長〜い一日

 おばさんは長年過ごした竜宮城の生活が忘れられず、毎年1〜2回お城(!?)のあるミュンヘンに里帰りしています。

 今回は613日にミュンヘン入りし、中世へタイムスリップしたような古い町ヴァッサーブルグのフェーリエンヴォーヌング(休暇用賃貸マンション)に落ち着きました。

 日本の車は右ハンドルであることや慣れない道路事情もあり、車を持たない私たちは、来独した折は乗り回して親しみのある同車種のメルセデスベンツAタイプのレンタカーを借りることにしています。今回も早速借りてルンルン気分!

 翌日、おばさん達は勝って知ったるローゼンハイムの町へちょっと必需品を買いに出かけたのですが、これが長〜い、長〜い一日の始まりでした。

 朝8時、ヴァッサーブルブを出発、「いーわね車は。この野原からの山の景色最高!満員電車の勤め人に見せてやりたいもんだわ!」と、興奮してわけの分からないことを口ずさんでいるおばさん。久々に運転するおじさんも晴れ晴れと快調なハンドルさばきです。

 買ったばかりのナビゲーターを試すため、とりあえず「ローゼンハイム」と入れてみたところ、このナビ、何を考えているのか、淋しい田舎道ばかり案内していくではありませんか。そこで入力し直そうといったん道路脇に車を止めました。すると、そこから車は何をどうしても動きません。さあ大変!携帯から連絡しようにもここは何処?イン河の流れが見えるのみ!

 近くに粗大ゴミ収集所が見えたので、そこへ駆け込み、人の良さそうな青年に電話してもらい一安心、その時が丁度10時でした。青年が言うには15分後に携帯に連絡をくれるとのとこと、さすが「車の国」、対応が早いと感心したが、30分経っても無い。青年に再度連絡してもらうと、「メルセデスの修理会社に連絡しているので、あと30分待って」とのこと。そこからは待てども待てども無しのつぶて。時々冷たい雨が降る中、待ちくたびれてお腹が空くは、小の方も切羽詰まるは、おばさんはすっかりブーたれてしまいました。

 そんなこんなでADAC(ドイツ自動車クラブ)の黄色いトラックが迎えに来てくれたのは午後2時近く、4時間待った甲斐あって、トラック初乗車の記念日となりました。

 そこから移動したメルセデスの修理会社でまたもさんざん待たされた挙げ句、「来週月曜日まで修理は出来ない」だと。トホホ・・・。それからタクシーで何んとローゼンハイムからバード・トルツまで移動し、そこでも待たされ、替わりのレンタカーを与えられ、ヴァッサーブルグまでトボトボ延々と帰りついたときは夜8時を過ぎていました。

 もう〜、このこの〜、どこのドイツもコイツモ・・・と、長〜い一日の長〜い報告でした。お疲れ様!!

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

2010621日)

 

草食系男子 

 おばさんは昨年、本帰国まもない頃、テレビで「あなたは草食・・・」とやっているのを聞きかじり、「野菜は健康食!」と思っていました。

 しかし最近、この手の番組は「草食系男子」というのをテーマにしていたらしいことに気付きました。この変てこな熟語、皆さん、ご存知でしたか?

 この言葉は2006年頃発し、2008年頃から著書が出て、その後テレビ、ラジオ、インターネットで幅広く浸透し、日常会話にまで昇格!したらしいです。そして、なんでも新人類、バブル世代の親から生まれたジュニアの若者を指しているらしい・・・。その特徴は、

* 恋愛に関しては積極的に出ない。女性と食事や買い物に気軽に付き合い、縁が無いわけではないのに恋愛にエネルギーを使わず、いい人止まりで結婚までこぎつかない。

* 職場ではPC堪能で真面目だが、出世は望まず、仲間や家族と過ごす時間を大切にする。    

* 争いを嫌い、他人から傷つけられることや他人を傷付けることを嫌う。

* 趣味、ファッションに興味を持ち、甘い物や料理が大好き、職場に弁当を持参する、いわゆる「弁当男子」。

* 外出より家で静かに過ごすのが好きで、けっこう節約型。

と、その他諸々でした。

 そして近頃、若者の飲み物で人気はミネラルウォーター、ジュース類、甘い酒類で、ビールやウイスキーといった、いわゆる大人のアルコール離れがあるそうです。また、車の運転、海外旅行などにも興味がなく、これらの業界は売り上げに頭を痛めているようです。

 それでは、一昔前のようなガッツで男らしく、女性をぐんぐんリードしていく「肉食系男子」は絶対に女性にもてないのかと思いきや、恋人なら肉食系60に対して草食系40で肉食系に軍配、しかし結婚するとしたら 草食系とか。「恋人に持つなら男っ気あってかっこいい肉食系、結婚はやさしく家庭のことを難なくこなす草食系」だそうです。

 そこでびっくり! 最近は「鳥肉系」というのがあるそうで、肉よりあっさりしていて、草より積極的な男・・・とか。女性は「チャッカリ系」ですね!

 と、まあ、テレビのどうでもいい情報にうつつを抜かし、すっかりニッポ化した「年金系女子」をしている「ひま〜な」この頃のおばさんです。

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

2010516日)

 

花見とお弁当

 今、おばさんの家の周りはさくら吹雪の真っただ中です。桜は咲き始めてから2週間たらずとされていますが、今年は3月下旬から寒い日が多かったため、長く楽しむことができました。

 4月上旬、○○小学校入学式と書かれた校門で満開のさくらと記念撮影をする親子に出会い、これぞ日本の「風物詩」と久しぶりに感じ入りました。

 おばさんは東京、四ツ谷から飯田橋まで外濠公園で旧友4人とお花見を楽しんできました。お壕に垂れる桜並木はちょうど見頃、土曜日とあって11時前には多くの花見客で賑わっていました。

 宴にはちょっと早い時間のためか、場所取りの青いシートに前日の日付で「18時〜○○席」とか「午前4時○○」など、早くからの場所取りの様子がうかがえます。前夜は真冬並みの寒さで雨、誰が頑張って陣取ったのか、「御苦労さま!」。

 おばさんは「きれいね。やっぱり日本人はさくらよね。」など言いつつ、木の下のお花見弁当のウォッチに手抜きをしません。・・・と、その時、パックに入った黒々と美味しそうなおにぎり、そして海老フライや鳥の唐揚げ、竹の子、人参などが色よい旨煮のパック、これぞお花見弁当!が目に入りました。

 そこでおばさんは思わず友達にささやきました。「ねえ、すごーい。日本の主婦も捨てたもんじゃないわね。あんな立派なお花見弁当が手作りできるなんて、感激!」と。

 ところが、「何言ってるのよ、デリバリーよ。」 「デブバリーって何?」とおばさんが聞くと、「デブじゃなくて、デ・リ・バ・リー!宅配のこと。今は携帯電話で注文すると花見の場所まで届けてくれるの。」

 「でも見るからに手作りだけどなー」と駄目押しするおばさんに、「そうかしら。今どき花見弁当は家で作らないのよ」と友達はにべもない。

 気付くと確かに隅の方で幹事らしき男性がヘルメットをかぶった業者らしき人にお金を渡していた。それからもおばさんは目を更にしてウォッチしたが、手作りと思われるお弁当は無く、ピッザの宅配、コンビニらしき弁当、店のらしきサンドイッチばかりだった。

 ある調査によると、花見弁当はコンビニや店で買うというのが一番多く、「店と手作りを折中する」が次にあがり、昔ながらに家で豪華に手作りという回答は一件も無いということでした。

 ちなみにこの日、おばさん軍団はさくら並木を後に神楽坂のレストランにくり込み、おしゃべりの(さくら)花を咲かせました。

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

2010415日)

鹿児島からドイツを想う

  はじめまして

  68歳。男性。鹿児島に来て4年。私立大学で社会福祉を教えています。

  義母が鹿児島の中で暮らしていますので、東京から越してきたのです。教員になったきっかけは、若い頃のドイツ滞在にあります。

 それで、私のブログ「坂之上の昼下がり」http://blog.goo.ne.jp/bonn1979/でのブログネームはbonn1979といいます。「ボンにいた1979年から自分の人生は変わった」という意味です。

  昨日、勤務する大学院の博士論文発表会がありました。2つの論文のテーマは、いずれもドイツ研究です。その模様を、上記ブログの第3526号に書いています。(指導教員は、ドイツの社会保障を研究している友人のT教授)

  こんど、この「ドイツの出来事」にめぐり合い、その確かな情報の質と量に圧倒されています。

  さっそく私のもう一つのブログ「坂之上介護福祉研究会」http://jpflege.exblog.jp/の中にリンクさせていただきました。 j は japan、 pflege は介護というつもりです・・・。

  こちらのブログは資料集のようなものですが、冒頭にいつも参照する重要なサイト欄を設けています。こんど、貴ブログを【Deutsch】Fobasanとして加えさせていただきました。

  今日は、新入りのご挨拶ということで・・・。 また、書かせていただきます。

  桜島はこのところ噴煙を吐いていて毎日のように降灰ですが、春はすぐそこにきています。

bonn1979

(2010年3月1)

 

物忘れの採点

  近頃、おばさんは自分に情けない思いをすることがあります。真冬に茗荷!を食べ過ぎたわけでもないのに人の名前が覚えられない、思い出せない。冷蔵庫の扉を開けてから「ウッ!何を取り出すんだったっけ、えーと・・・」という調子です。

  そんな時、「物忘れのチェックの採点」という記事があったので、早速おばさんは試してみました。みなさんもいかがですか。

物忘れチェック

(点数は、ほとんど無い: 0点、たまにある: 1点、頻繁にある: 2点)

* 同じ話を無意識に繰り返す。

* 知っている人の名前が思い出せない。

* 物のしまい場所を忘れる。

* 漢字を忘れる。

* 今、しようとしたことを忘れる。

* 器具などの説明書を読むのが面倒。

* 理由もないのに気がふさぐ。

* 身だしなみに無関心。

* 外出が億劫。

* 物(財布)が見当たらない事を他人のせいにする。

物忘れ採点

0〜8点=正常です。

  老化やストレスで物忘れが一時的に強く出る場合もあります。8点近かったら日を変えたりして気分の違う時に再チェックしてみましょう。

9点〜13点=要注意

  家族に再チェックしてもらったり、数か月単位で間隔を置いて再チェックすることをおすすめします。

14点〜20点=要診断

   認知症の初期症状が出ている可能性があります。家族にも再チェックしてもらい、結果が同じなら受診してみましょう。

 この物忘れ採点は、心配性の人などは自分に厳しくチェックしてしまいがちなので、結果に自信のない人は家族に協力してもらいましょう。

 ということですが、皆さんも参考までにやってみて下さい。

 えっ、私の結果ですか? それは「ひ・み・つ!」。

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

201031日)

笑う門に皺きたらず

 新しい年になりました。今年も健やかに過ごしましょう。

 「笑う門には福きたる」と云われていますが、今回は役に立つ情報、「笑いの効果」についてちょっと真面目に報告します。

 「笑う」ことはがんの痛みを和らげ、免疫力を高めたり、リュウマチの痛みを和らげたりする効果があり、また認知症を予防するなど医学的な効果があるのはすでにご存じと思います。でもそのあたりのことは専門家に任せましょう。

 おばさんが関心を持ったのは「美容効果」です。まず、笑うことで胸、横隔膜、背中のさまざまな筋肉を使い、腹筋を鍛えることでダイエット効果があるそうです?! でもそんなに笑えることってあるかなー? 横隔膜が鍛えられて便秘も解消するらしいです。そうですかね? 笑うだけで? おばさんは素直に受け止ることにしました。

 究極は笑うことで「顔の皺を予防できる」ということです。笑ってばかりいると小皺ができると思いきや、顔には多くの表情筋があり、これも筋肉なので腹筋と同じく日ごろ鍛錬することでたるみや皺の促進を予防するそうです。腹筋運動でお腹をへこませるのはかなり努力を要しますが、こちらは「笑っている」だけです。

 しかし、何かとストレスが多く、そうそう大笑いすることなどないですよね。という人には「作り笑い」でも全身を活性化するホルモンがでて効果があるそうです。

 美人ばかり登場させているテレビの化粧品コマーシャルのような効果は望めないにしろ、仏頂面より笑顔でいたほうが健康にも美容にもよいというのなら、お安いご用、やりましょう! 「美しくありたい」を追究しているおばさんはトレーニング法をさっそく試してみました。

笑いのトレーニング

@  朝、顔を洗った後など、鏡を見て「チーズ」とにっこり!

A  筋肉をほぐしたところで自分の好きな笑顔を見つけてにっこり!

B「あ・い・う・え・お」と声を出しながら口を大きく開け、顔の筋肉を動かした後、目がなくなるまで細くして笑う!

C最後は思いっきりお腹から大声で作り笑いをする!

 以上を試した結果、@〜Bは難なくクリア、でもCは芸人の「笑い三年泣き三月」と云われるごとく、駆け出し女優のおばさんにはちと芸が難しい。それに、一人の時にやらないと、突然大笑いを始めたら他の人が不気味に思うかもしれませんね。

そんな訳で「笑う門に皺きたらず」、よろしかったら皆さんも試してみて下さい。

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

2010125日)

浦島太郎子おばさんのこのごろ

  昨年11月、十数年ぶりにドイツから本帰国し、当初は何かにつけ「ほォー!」「そうなの?!」と浦島太郎子状態だったおばさんもこの頃はすっかり感嘆する度合が少なくなった気がします。

  例えば昨年の今頃は、スパーマーケットのレジ係がどんなに混雑していても「いらっしゃいませ!」と、お客一人一人に対して申し訳程度(!)に頭を下げたとたん、「ニンジンが一点、こんにゃく一袋値引き品の惣菜○○(これは言われたくないのだが)・・・何んとか、かんとか・・・」と念仏を唱えるがごとくつぶやきつつ動かすその手の速さにもうウットリしていたものでした。

    ドイツのスーパーのレジはいつも長い列。やれやれ順番と思いきやレジ係が隣りの同僚とおしゃべりをしたり、「一杯引っかけなきゃ、やってられないわ」とばかり、ゆっくりボトルの蓋を開けてぐいっとジュースや水を飲む、などなど。

    こんな時、連れ合いが「おばさーん、しゃべるな、しゃべるな!」とか「飲んでる場合じゃないよー、君ィー!真面目にやれ、真面目に!」と、レジを終えた品を袋に入れながらそれとなく日本語でつぶやくので、「そうです、そうです!」と、おばさんが合いの手を入れたりしてうっぷんを晴らしていました。

  ところが一年過ぎた今のおばさんは、なるべくすいていそうなレジへ素早くさっと並び、手慣れない新人そうなレジ係に当たろうものなら「うん!もう!隣りのレジの方がよかったかな」と、イラついたりして、気がつくと何事においても立派な「大和撫子おばさん」に戻りつつあるこの頃です。

  と云う訳で、今年は終わります。この一年、日本発「何んの役にも立たない情報」をお送りしました。読んで下さった方々に感謝致します。また来年も? ・・・ウッ、うーん!懲りなく送ります。多分!

  皆様よいクリスマスと新年を!

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

(2009年12月18日)

国民の祝日

 今、日本はシルバーウィークの真最中。5月のゴールデンウィークに対して「シルバー」とか。

 このウィークは「敬老の日」「秋分の日」「国民の休日」(こんな日、あったの!)を合わせて連休となったため付けられたそうです。このシルバーウィークはハッピーマンデーのたま物で、残念ながら毎年あるのではなく、2009年の次は2015年までないそうです。

 暦通りだと 919日から23日まで「5連休」、24日、25日の木・金曜日に休暇を取ると、なんと「9連休」にもなります。

 ドイツ人がとる休暇から見たら「それが何んなの!」となるでしょうが、日本全体が興奮??しています。高速道路の一部無料化もあって「国民の休日」とばかり、高速道路は渋滞、観光地は家族連がどっとくり出し、その様子をテレビが放映しています。

 普段のウィークデーの観光地など「敬老の日」に値するシルバーエイジばかり。こちらの方がずっとシルバーウィークと思うのですが?!

 ところで、おばさんが1994年以来、十数年間日本を留守にしている間に「国民の祝日」が随分変わったことに気付きました。まず月を追って見てみると、

·    429日「昭和の日」。昭和天皇が亡くなられて、「天皇誕生日」が「みどりの日」となり、2007年から「昭和の日」となった。

·    54日「みどりの日」。本来429日にあったが、「昭和の日」が入り、2007年にここに移動した。

·    720日「海の日」。海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願って1995年から。

·    ハッピーマンデー。2000年より祝日の一部を月曜日に移し、土・日曜日と合わせ三連休にした。

  成人の日: 1月第2月曜日、海の日: 7月第3月曜日、敬老の日: 9月第3月曜日、体育の日:10月第2月曜日

 以上のようです。これは「国民の祝日に関する法律」で制定されているそうです。

 おばさんが働いていた頃よりは祝日が多くなったとは思いますが、日本は個人の有給休暇など無いに等しく、国民の祝日は貴重です。民主党新政権になって、今後、もっともっと祝日や休暇がとりやすい日本になるよう期待するところです。

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

2009922日)

 

チャレンジ - 姿勢をよくする

 日本の僧、お坊様たちの姿勢は立っても座っても背筋が伸びていてきれいです。映画やドラマの時代劇でもお歳をめした俳優達の姿や動きは美しく、無駄な動きや揺れが無く、見ている方にも気持がいいものです。

 先日、ある誕生パーティーでドイツ人女性と日本人女性、年齢は50から60歳台、が集まっていましたので観察すると、ドイツ人は丸型体形でも姿勢はまっすぐ、片や日本人は細方なのに背が丸いのです。ドイツのアパレルサイズ46、48 ・・で堂々たる体形の女性でも姿勢はまっすぐなんですねー。もちろん、日本人でも若い人は当然、年齢がいっていても背中がちゃんと伸びている人もいます。

 我が身を見れば、外のショーウィンドーに写ったおのれの姿は背中が丸まり、あごが出ていて、思わず「いゃだー、これはいけない」。その場で背を後に引けば、腹と腰が前に突き出てしまい、上を引いたり下を引いたり。全身が写れば膝も曲がっているという具合で、立派な老の姿。

 自分が気が付くほどだから人の目にも明らかで、夫から「せなか!」、「背中が曲がっている!」とひんぱんに激が飛んできます。

 日本の女の背中は丸くなるの!なんて言いたくなるのを耐えに耐え、今年は背筋と腹筋を強くすることに務めることにしました。

 一方、背中のつづきである膝についてはヨガのコースで膝後のすじと膝上の大腿筋を強くするストレッチをしていて、長くかかりましたが(3年ぐらい)、曲げられなかった片膝が今は難なく正座ができます。ゆっくりのストレッチです。

 正座から静座ができるようになったら心もすっとし、お坊さんのように顔もつやつやとするのでしょう。それが究極のアンチ・エイジングかな。続けようと思っています。

ミュンヘン  つづら折りおばさん

2009922日)

 

「あつ〜い!」報告

 今夏は長雨と日照不足でキュウリなどの夏野菜、玉ねぎ、じゃが芋が高騰、米の収穫にも影響が出そうですが、気温は低く、過ごしやすいそうです。

 おばさんが「暑い!たまらん!」と騒ぐと、「去年まではこんなものではなかった。今年はいいほうよ」と、相手にされません。

 しかし、です。おばさんにとってかれこれ13年ぶりに過ごすこの「暑さと高湿度」は殺人的なのです。それに、自慢ではないが、住んでいるところが「夏の高気温、日本一宣言」をしている埼玉県熊谷市に近いのです。

 昨夏まではミュンヘンから横浜の姉へ電話すると、姉は「暑い、暑い」を連呼。「暑い話の他に何かないの?!」と、おばさんは内心舌打ちしていたのですが、実際にここに身を置くと、あつ〜い話しかありません!ハイ!

 そこで、おばさんの日々の行動を報告してみましょう。

 家に居る時は、南極か北極から動物園へ連れてこられた白クマが檻と狭いプールを往復して日んがな一日泳ぐごとく、部屋と風呂場を往復。

 真夜中、エアコンのタイマーが切れて、蒸し暑さと全身に張り付く大汗で目を覚まし、「アツ、アチチ、アチッ!」と、暗がりでウチワを探して這い廻る姿は禁断症状の麻薬患者のごとくでしょう。

 そして、猛烈な勢いでパタ、パタ扇ぎ、その後は朝まででエアコンのお世話になりっぱなしです。これに懲りて、タイマーなんかに見切をつけ、しっかり就床前からスイッチオンです。かつてあんなに冷房嫌いだったおばさんの変わり様は自分でも信じられません。

 晴天の白昼、外に出ると、灼熱が日傘を通してまで肌を刺すごとく照りつけるのですが、これはドイツでは経験しない暑さです。

 そこでおばさんは、目的地に着くまでに通りがかりのスーパーやデパートに入り、冷凍売り場や鮮魚売り場をゆっくり優雅に通過し、ちゃっかり涼をとるのです。

 等など、「暑い、暑い」と云いつつ、したい放題、やりたい放題・・・。省エネやらエコやらは来夏から考えさせて頂きます!

 「夏バテ」など縁がなく、ビールと美味しい物に目の無いおばさんは「夏痩せ」などほど遠く、体重アップ対策に頭を痛める昨今です。

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

2009828日)

 

七、なな、しち、7、セブン、ズィーベン

 先日この欄に載せていただいたズィーベンシュレーファーSiebenschläferに続いて、七にまつわること。

 アントンさん、リタイア後の趣味に日本語を奮闘独学中。膨大な数の漢字、ドイツ語のように論理的logisch な説明をしにくい日本語はとつぜんに質問をされると、かなり難しいです。

 7月7日が「タナバタ」と聞き、「漢字でどう書くの」と訊ねてきました。「なな、つまり漢数字の七と夕方のゆう」と答えた途端、わたしの胸中は『ああ〜、説明がタイヘン』の苦しい思い。七夕については、とにかくああ書いてこう読む、覚えるっきゃないと無理やりに押し付けました。

 一方、わたしの頭の中に七が駆け巡り、日本の暦でも正月七日の春の七草に始まり、人の一生に関してもたくさん七、ななが出てくることを面白く思いました。

 人が生れてまず『お七夜』、無事に育って『七五三』をお祝いし、漢文を学ぶ頃には『七言絶句』に悩まされ、学業が終れば『親の七光り』で大人の人生を歩み始め。自分は完璧なんて思っていても『無くて七癖』もすっかり身に付いてしまう。

 古希『七十の祝』をする頃には借金か腸ねん転で『七転八倒』するも、ここまできたら『七転び八起き』。下手な小唄を『七五調』で口ずさみ、自分の『七つ道具』でじゃまになる物など工作して『七福神』を飾ったり。ようやく成仏して『初七日』、『しちしち日とは四十九日』、『七回忌』をする頃は周りが『七面倒』と思っていたり。

 七不思議や七変化など、はたまた『七年目の浮気』など語感は不倫よりもかわいい。

 美しく爽やかはのは『七色の虹』ですね。

ミュンヘン  早起きおばさん

2009828日)

アパート名

 ドイツで一般のアパートに名前が付いていることは少ないですが、日本では必ずといっていいほど付いています。一昔前は○○荘、○○アパートが多かったのですが、今は奇抜です。

 そこで、散歩の折や買い物に出た時、ひま人で皮肉屋のおばさんはアパートの名前をメモってみました(ほんと、ヒマ!)楽しい「情報収集?!」ができましたので、今回はそのウォッチといきましょう。

 真昼、屋外に出たとたん、アスファルトの熱気が火炎地獄のように身を包むことがありましたが、そんなことは何んのその・・・とはいきませんが、ちょっといいネーミングを見つけるとニンマリです。

 まず多いのはヴィラ○○。次がパレス○○、キャッスル○○。舞踏会でも催されそうな名だが、宮殿とは似ても似つかぬ・・・。ワンルームらしき木造アパートにシュロス○○とあったのにはちょっとのけぞった(ルードヴィッヒもびっくり!)。「○○ブルグ」だってあったのだ。

 以下に続けるのはウォッチしたアパート名です。

      ホワイトハウス: 大統領オバマか小浜さんが住んでいる? ただ単に外装が白いだけだけど。

      キャロットハウス: まさしく「うさぎ小屋」。失礼!

      ビバリーヒルズ: これがですかい?!

      サンシャイン: 日当たりが良さそうではないけれど。サンセットというのもあるが、西日が差すの?

      縄文マンション: 竪穴式か横穴式か?

      アルカサール: 駅から遠くまで歩かされるのでこのネーミングかと思ったが、帰ってから辞書で調べたところ、スペイン語の宮殿・城なのだそうな。勉強になりました!

 その他、シャルム、カジュール、クラレットフォーマー、アーリーウット、ディーバンアート、フルーブなどなど、おばさんにはさっぱり意味が分からないネーミングばかり。おばさんのアパートからしてレスポワール。何故かカタカナ名ばかりで、「ときわ荘」や「おそ松荘」は見当たらない。

 まだまだあるのですが、暇ぶりに呆れられるといけないので、今回はここまで。アッ!もういりません? そうですか。そうですね。またまた役に立たない情報でした。ハイ!

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

2009721日)

 

„Siebenschläfer“ ズィーベンシュレーファーに出あいました!

    6月末に友人の息子Kクンがミュンヘンで美術館を訪ねたり街の見物をしたいと、我家に泊まりに来ていました。

 明日は一緒にどこかへ出かけようと相談をして、TVで天気予報を見ていた夫が「遠出するには天気がよくなさそうだから、近いイザー川に沿った散歩道にしよう」と提案。その時に暦がでていたらしく、「明日は Siebenschläfer の日だとさ」と言ったので、ひとしきりその話になりました。Siebenschläfer とは、次のような説明があります。

 先ずは、ローマ皇帝デシウスに迫害された7人のキリスト教徒がエフェゾスの洞窟に閉じ込められ、200年眠り続けたという伝承(長い眠りから覚めたあとはどうなったかわかりませんが・・・)。この長い眠りということから派生して、大変に長い冬眠をするある動物が Siebenschläfer と名付けられました。

 この動物の Siebenschläfer について。

 ネズミに属し、体長15〜20cm、尾の長さは10〜15cm。全体の色はグレー・ベージュで、体毛はするりとした毛、尾っぽはふさふさした毛に覆われています。ちょっと見にはネズミのような小型のリスのような。夜行性で夕方から活発になり、食べ物は樹木の若芽や果実。リンゴなど大好き。9月、10月頃から翌年3月、4月頃まで大体7ヶ月も冬眠し、寝坊すけの最たるのは9ヶ月。5年ぐらい生き、家で飼うのは適さないそうです。

 以上の二つの説明から更に、毎年6月27日は Siebenschläfer の日と決まっていて、農事暦(Bauernkalender)によると、この日の天気がその後7週間続くというそうです。

 翌日、雨上がりのイザー川に沿った道を散歩に出かけました。暑くも寒くもなく、雨に洗われた木々の葉は緑あざやかで、空気は新鮮、気持よく歩いていました。

 樹木にはところどころ巣箱が取り付けられていて、小さい入口から四十雀が出入りするのが見られることがあります。

 Kクンが突然 「あれ!」と言ったので、わたし達も彼の視線を追って見上げると、ある巣箱の上に縫いぐるみのようなものが乗っかっていました。かすかに動いているので、こちらも息を静めて見守っていると、なんと小水をしたではないですか。吹きだしたくなるのをこらえて見ていたら、巣箱の穴にするりっと入りました。これは Siebenschläfer でした。我慢できなくなって巣箱から出て用足しをしたようです。

 わたし達夫婦は以前に一回だけ森で見たことがあります。流れ星のように、見るチャンスに恵まれたから幸運がくるとは聞きませんが、滅多にお目にかかれない動物です。バイエルン地方では自然保護動物になっています。

 日本にもいるらしく、ヤマネ漢字では山鼠と書くのだそうです。

ミュンヘン  早起きおばさん

2009721日)

 故郷へ回帰

 この半年で近くに住んでいた親しいドイツ人の友人二組が引越しをして行きました。

 マイヤーさん達は子供のいない共働き夫婦。二人とも故郷はバーデン・シュバルツヴァルト地方。その温暖気候で育った太陽のように明るい人柄、職業生活でも家庭でもよく働き、これまでの生活を楽しんだ二人は60歳を前に働く人生にピリオドを打つことにしました。

 ご主人は57歳の時に、その2年後奥さんも早期定年退職OKが出ると、その報告に。今後について、「わたし達、ミュンヘンを離れて故郷に行きます。あちらに住まいも見つけたからここは売れ次第、移るわ」とのこと。備えあれば憂い無しで、トントンとことが運んで、彼らは越して行きました。

 この夫婦とは一年に一度はお互いを招き合って、彼らの得意なイタリア料理かバーデン料理をご馳走になり、こちらは日本食でという付き合いが続いていました。距離的に遠くなるのはお互いに残念だけと、友好は続けましょうと約束しあったのは勿論です。

 フーバーさんは独身女性で、ずぅーっと昔に結婚して離婚し、その後は一人暮らし。時々パートナーは居たけど、一人で暮らす方が自分に合っているとのことでした。彼女もよく働き、最後の職場では我がままな上司に振り回され、もうやってゆけないと悲鳴を上げ、何とか早期定年退職の権利を手に入れて60歳で仕事人生に終わりを告げました。

 そんな彼女は自立心が強く、自分の行く末も考えていていました。「終の棲家はメックレンブルグ州のいとこが住む小さい町にするつもり、物価は安いし、自然があって気に入っているのよ。」

 自分の故郷はハノーバーに近い小さい町で、実母の最後を3年前に見送ってからは、あそこにはもう行かないだろうとはっきり言っていたのです。いざ、計画を始めたら故郷の弟さんがこちらへ来ないかと声を掛けてきました。弟さんとの中はよくないと言ってはいたけれど、そこは「血は水よりも濃し」。彼からの誘いでコローンと気持は故郷にリターン。ほいほいと住居も見つかり、安心して越して行きました。

 さーて、わたしはどうしようかナ。ドイツ人の夫と共に住んで30年余り、日本が好きで、毎年日本へ行きます。両親・兄弟姉妹も子供もいません。でも日本には昔からの友達もたくさん。迷います・・・迷います。ドイツにはずい分慣れたけれど。

 先日、学童預り所の保育士のストライキの時に友人の娘のミーナちゃんのシッターをしました。日本とドイツのハーフで、よく知った間柄。

 ミーナ: 「はる子さん、は日本人?でしょ。」

 はる子: 「そうよ。」

 ミーナ: 「・・・アタシ、ドイツ人。でも日本が好き。日本へいくと、気持がい〜いの。そうでしょ。」

 彼女がしみじみ言ったのです。おん年6歳。

 そうそう、やはり日本は、故郷は気持がいいところなのです。

ミュンヘン  大和はる子

(2009年6月23日)

 

トイレウォッチ 

 皆さんも日本のトイレ事情の素晴らしさはご存じでしょうが、おばさんも本帰国して感激した物の一つに日本のトイレがあります。

 十数年前、ドイツで生活し始めた頃の日本の駅や公園のトイレなどは最悪で、多少お金を取られたとしても、ドイツのデパートやアウトバーンのトイレを清潔に感じたものでした。

 今、日本ではどんな田舎に行っても駅、デパート、スーパー、コンビニに至るまで、新しく設置されたトイレは清潔で便座は暖かく、「お尻マーク」だか「洗い」やら「乾燥」やら・・・何だかカンだか・・・種々の機能が付いています。でも、おばさんはとっても使いこなせそうにありませんが。

 ところで、おばさんの姪はある住宅設備製品の会社に勤めていた関係で、家の改築を機にその会社の最新型トイレにしました。そのトイレは、まずドアを開けると柔らかな照明が着き、便器の蓋がファーと大あくびをしたように口を開きます。便座に座ると、なぜか少量の水が流れ、そして頭の上から爽やかな小鳥のさえずりが・・・、あたかも深山にいるごとしだが、おばさんはかつて山登りした時ののっぴきならぬ「用足し」を思い出してかえって落ち着かなかったので、切り替えてみると、何処からともなくかすかに優しげにモーツアルトの曲。ウーン、まッ!いいけど、ここで「癒され」なくてもなぁー。ご用が済めばすっきり爽やかです。

 次の製品はカラオケ装置やテレビでも付ける気かい!やれやれと、立ち上がったとたん、勢いよく水が流れ、証拠品は陰も形もありません。まったく!大切な身体の観察物を本人に断り無しに流してしまうなんて!ブツブツ・・・。おばさんは結局、新しい機能は使わず、従来通りの「水洗トイレ」で御用を終わりました。

 いずれにしてもいくつかの機能がついていることで、身体に障害がある人やお年寄りにとっては便利で清潔で快適なトイレはありがたいことです。でも、へそ曲がりなおばさんは「ここまでやるか!」とちょっと斜めに構え見て、からかいたくなってしまったのでした。

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

(2009年6月23日)

 

マスク

 浦島太郎子おばさんにとって「竜宮城」であるミュンヘンへ4月から5月中旬まで「里帰り」してきました。訪れたミュンヘンではタンポポの野原、桜、こぶし、藤、帰り際にはアカシアの花と、ありとあらゆる春の花に出会え、そして親しい方々と会い、まさしく竜宮城気分でした。

 滞在中に日本にも飛び火した新型豚インフルエンザの騒ぎは知ってはいたものの身近に感ぜず、のほほんと帰路に着きました。

 「ごきげんよう、さようなら!」の機内放送を後に空港に降り立ち、まず検疫官の装いに「見とれて?!」しまいました。手術室の様な服ですっぽり身を包み、なんといってもチャームポイントは顔に掛かるマスク。大きなマスクの真ん中に丸い輪が付いて、防毒マスクの頭の部分を除いたような・・・全身の姿がまるで「西遊記」の「猪八戒」のごとく!! 「豚インフル」に合わせたファッション(?!)かな。ちょっと笑えますが、笑っている場合ではありませんよね。ハイ!

 電車でも大人も子供もマスク、マスクの姿。普通の(?!)マスクにまじって空港の検疫官と同じ「豚鼻マスク」をしている人もいるではありませんか・・・。関西は患者が多いため、神戸の知人曰く、「神戸でマスク掛けとらんと白い目で見られるで!」とのこと。

 もちろん、マスクはウイルス感染の拡大を防ぐ重要手段なので、こんなふうに揶揄してはいけないのですが、お守りのようなこの小さな布の大活躍に感じ入りました。

 ウイルスという微細な生き物に翻弄され、修学旅行や大きなイベントの取り止めで経済社会への影響が心配されています。

 ともあれ私たちはウガイ・手洗いをしっかり行い、「マスク」を掛けて予防し、早く正常な社会生活が戻ることを祈るばかりです。 

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

(2009年5月26日)

住宅の迷路

 我が家は5階建ての最上階(ドイツ式だと4階)前にさえ切る物がなく、遠くまで眺められます。

 帰国したばかりのころ、ベランダに立つと、戸建ての家や小さいアパートの屋根がぎっしり並ぶ向こうに、大型スーパーマーケット「○○エー」の広告塔が目に入りました。「おー!スパーが近い、やった!直線にして10分で行けるね」と、天気もいいし、早速出かけることにしました。

 アパートを出れば広告塔はまったく見えず、そこを目指して・・・というより、その方向に向かって歩き始めました。

 12月というのに家々の小さな庭にはところ狭ましと鉢植えのパンジー、シクラメン、花キャベツ、咲き残った菊、垣根には山茶花が柔らかな日差しの中に美しい。冬はモノトーンの世界となるミュンヘンから帰った浦島おばさんは、この関東地方の穏やかさに日本に身を置いたことをつくづく実感したのでした。

 そんな中、鼻歌でも歌いたい気分で目的地を目指していると、「ウッ!ここは行き止まり!」、「よし!ここは抜けられそう」・・・。路地に入ると、どん詰まりの家が立ちはだかる。

 お地蔵さんがいて昔から在る道だろうなーといい気分でちょっと行ったら家庭菜園。「ここなら」と比較的広い道を延々と歩いた先は大きな茶畑、「通り抜けできません」の立て看板で引き返えす。「ここなら・・・、この通りなら・・・」と、かくて40分も歩いていました。いったい私はどこ!?

 すっかり歩き飽きて、ついにネギ畑のおじさんに「スパー○○エーはどちらの方向ですか」と尋ねたところ、おじさんはとてもけげんそうな顔で「歩いて行くの?」と言いつつも丁寧に教えてくれました。

 かくて猛スピードの車が行き交う道の有るか無きかの歩道を排気ガスを浴び、肝を冷やしながら20分も行進したのでした。帰りも迷いに迷って家路は遠く、さすが健脚のおばさんもヘトヘト、トホホなの一日でした。

 地元の人の話では、個人所有の土地を切り売りし、家が道路に面していることで見栄え良くするためにこま切れの道を付けて建て売りしたためとのことでした。

 向日葵やコスモスの迷路は美しく楽しいものですが、「住宅の迷路」とは如何なものか・・・。

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

        2009421日)

 

車内ウォッチ パート2

  先回はラッシュ時のウォッチでしたが、今回は乗客もまばらなある昼下がりです。

   その日は特に寒いからっ風が吹き荒れる電車のホームから暖かい車内に座り、ひとまずほっと落ち着いた頃、次の駅に着きました。すると、重そうなカバンを持った制服の女子高生が乗ってきて、ドッとばかり(カバンとおしりの圧力!) 浦島おばさんの隣りに座りました。

  「ほおー、象の鼻の様なルーズソックスは履いていないし(すたれてしまったらしい)、スカートの丈もそこそこ、まっ、今どきの女子高生スタイルにしては㊝かな!」と、おばさんは素早くトータルチェック!!

  ところが、2駅が過ぎた頃、おばさんの隣りの高校生がすっくと立ち上がりました。発車したばかりだったので、降りそこなったのかなと思いきや、その子はオーバーコートの前をばっと開き、制服らしき上着を豊かな胸の上までまくり上げ、スカートのベルトに手を掛けるや3〜4回くるくる巻いて超ミニにしてしまいました。そしてまたドっと座り(多分、真正面から見たらあられもない?!)携帯電話をのぞき始めたのです。

  周りに人がいる行動とはとっても思えません。あっ気に取れつつ前の席に目を泳がせると、そこにはスーツにネクタイのちょっとかっこいいセールスマン風の若者が座っていて、おばさんとしっかり目が合ってしまい、お互い思わず「ふっ!」と笑い合い、それから下を向いて笑いを噛み殺したのでした。きっと、おばさんの目はその若者へ「あなた、いいもの見せてもらったわね」と語っていたことでしょう!!

  次の停車駅でその女子高生は、寒風吹きぬける中、階段の昇り降りはどうするのかと心配するほど短いスカート丈で降りていきました。

  周りの人の目などまったく意に介さないこの女子高生の行動といい、もう最近では驚くこともない車内での延々の化粧といい、日本女性の「慎ましやかさ」や「恥じらい」はいったい何処へいってしまったのかと、浦島太郎子おばさんが嘆いた日でありました。

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

2009319日)

 

車内ウォッチ 

 ドイツから帰国して間もない朝、ラッシュ時の電車に乗りました。身動きができない混雑の中、ようやく吊革にぶら下がり(背の低い私は吊皮にはぶら下がるのです)目にしたものは、なんと、横7人掛けの座席に座っている7人が7人とも眠りこけている場景でした。よくある、席を替ってもらいたそうな人に寝たふりをして胡麻化しているようでもなく、皆な熟睡状態と見受けました。

  その一人は電車が揺れるたび上体を右や左へ器用に揺らし、横の席の人には迷惑をかけない「車内睡眠」のプロとおぼしき人。

 膝の上のキャリアバックにしっかり身をまかせ、カバンの匂いを嗅いでいるかのような高級オーバーコートのお嬢さん。

 その隣は長いパーマの髪を前に垂れ、さながら干しワカメのごとくの髪を揺らして眠る中年女性。

 究極は私が立っていた前のサラリーマン風の若い男性。トレンチコートの襟元をビシッとネクタイできめ、しっかり目覚めれば!「イケメン?!」・・・女の子に持てそうな・・・この男、腕組みして後ろの窓に頭をもたげてのけぞり、ぽっかり大口を開けているので、のどちんこまでまる見え、下顎の両奥歯1本と2本、計3本の虫歯の治療済み跡とおぼしき詰め物までしっかり見せて頂きました。

 残りの3人もおのおのこうべを垂れ、コクン、コクンと・・・それでも3回に1回は意識が戻るようだが、またしっかり眠っていました。

 このドイツとは違う車内場景を見て、日本の「勤め人」は長時間労働で眠りを削り、車内でさえも睡眠時間を「稼ぐ」ことになるのかと同情してしまいました。

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

(2009年2月19日)

 

はじめに

 10数年のドイツ生活に区切りをつけ、昨年11月末から池袋にほど近い埼玉県に住むことになりました。年に1、2回の帰国時にもドイツとの違いに驚くことが多かったのですが、出国前に住んでいた所とは違う埼玉に住むことになり、土地勘がないことも重なって、帰国直後は何につけても「ほォー、ほォー」と鳴いて!!感嘆するばかりでした。

 そこで、そのエピソードの数々をこのコーナーにシリーズで報告させていただこうと思いつきました。さて、今回は・・・

深夜営業 

 帰国して住むことになった家の駅に降り立つと、駅前スーパーの「年中無休、24時間営業」という大きな垂れ幕が目に飛び込んできました。「ほォー、24時間かー!ほんとにやってるの? 小さな町の夜中に客が来るのー!?」と、夫との会話。

 次の日、早朝4時、時差で眠れなかった夫はご丁寧にも!そのスーパーへ営業状態を調査に行きました。そして、「立派にやってたよ!やってた!」と、力強く言い、「レジを打っていたのは、60才はとうに過ぎているとおぼしきオバさんばっか。お客は若い人ばかり」との報告。寂びさびと閑古鳥が鳴き怖いのではと予想していた私は「ほォー!成り立っているんだ!」と、感激してしまいました。

ドイツにいた時から、かねがねコンビニなどの年中無休、24時間営業はそこまで必要なのかと疑問を持っていましたが、昨今の厳しいリストラ、失業状況のことを思うと、働ける場があって買う人がいる限り、多くの人の雇用や経済の活性化に繋がっているのかなー・・・。待て、待て、こんなことをしていると、働き過ぎ、資源消費のし過ぎで、果ては日本が沈没してしまうのではないか・・・などなど、はてはて・・・と頭が混乱し、不眠のはずがしっかり眠っているのでした。

ドイツから帰ってきた浦島太郎子おばさん

2009115日)

ドイツに行ってきました

オバサン、お久しぶりです。

7月24日から約2週間、ドイツへ行って来ました。私にとっては9年ぶりのドイツです。 

先ずはカッセルでドクメンタを見、その後ベルリンに行き、ライヒスタークを見学したり、デッサウまで足を伸ばしたりしました。次にドレスデン、ライプツィヒ、エアフルト、アイゼナハ、ワイマールと東ドイツを中心に回り、最後はフルダに泊まりました。

  フルダは、フランクフルトに近いという理由で選んだのですが、思いがけず美しい町ですっかり気に入りました。あとはエアフルトやアイゼナハなども、予想以上に良かったです。

ワイマールの町も良かったのですが、ホテルで文化助成金のようなものをチェックアウト時に1泊につき1ユーロ請求されたのと、国民劇場の前のゲーテとシラーの銅像が修復中で、ちょっとがっかりしました。

  ドイツの町では、日本料理に限らず、アジア料理の店をよく見かけました。東部中心に周ったせいか、日本人はあまり見かけず、やっぱり中国人が多かったですね。韓国人はあまり見かけなかったと思うのですが、絶対的な人口の問題でしょうか。

  ドイツの美しく整えられた家を見て、「うちもちゃんとしよう」と思って帰ってきたのですが、日本に戻ってくると、毎日30度を超す暑さで、何もする気がなくなってます。

  ドイツでは、いつも人々が気楽に挨拶し合っていて良いなと思います。ホテルやカフェ、列車の中、スーパー等でもです。日本だと、どうしても「いらっしゃいませ」とか言われて、こちらは何も言うことがなくなるのです。

  幸い、私の住んでいる町では、まだ近所の人同士の挨拶の習慣も残っているので、私も自分の周りから少しずつ声掛けや小さなお手伝い(乳母車の人を助ける等)を広げていきたいと思います。

  観光旅行で行ったので、決まったパターンのドイツ語しか話せなかったことが少し残念でした。

  ドイツは日中の気温差だけでなく、毎日の気温差も激しいですね。オバサンもどうぞお身体には気をつけて、お過ごしください。

MAYU

(2007年10月4日)

久しぶりのドイツ

こんにちわ。初めてカフェーパウゼにお伺いします。

私は札幌在住の48歳美容セラピストです。この5月、久しぶりにドイツを訪れました。化粧品の取引先がミュンヘン郊外にあり、そこを訪れた際、久しぶりにパワフルな仕事をする生き生きとした日本人女性 K さんにめぐり合いました。 彼女にお会いし、こんなことを思い出しました。

まだ私が20代前半、仕事でドイツの美容室、美容学校を100ヶ所近く巡り、日本の技術指導活動をしていた頃のことです。ドイツは札幌に大変似ており、初回3ヶ月の契約も楽勝かと思いきや、気楽な学生生活とは違い、外国での仕事はかなりの緊張感+ハードスケジュール。

 私は時々ホームシックに陥り、突然帰りたくなったり、泣きたくなったりの毎日でした。おじさん駐在員上司も困り果てて、動物園を案内して下さったり、一緒にお食事していただいたり、親切にしていただきましたが、ホームシックというのは母恋しい気持ちなのですね。なかなかおじさんでは解決できませんでした。

 ちょうど私がシュツットガルト入りした時は通訳の方がいてくださり、久しぶりに日本人女性にお会いできました。当時の私には、彼女がおばさんに見えましたから、ちょうど今の私くらいの年齢かと思います。仕事が終わると、私はおばさんに連れられるままカフェでザッハトルテを頂き、女同士の話で盛り上がりました。

 おばさんはもう長いことドイツに住んでいること、国際結婚で、ご主人は中国人であること、喧嘩もするけどアジア人同士の絆も感じることや、ずいぶん長い時間かけて日本から船でドイツに来たことなど、色々なご苦労があったようでした。

 そして、何か困っていることは無いか、辛いことは無いか、尋ねてくれました。おばさんは優しくて、笑うと目じりのシワがなんとも素敵な女性。大変なことが多かったにもかかわらず、おばさんはパワフルで生き生きと輝いていました。

 それにザッハトルテもかなり美味しかった。私はそのおばさんとおしゃべりしただけで気持ちが落ち着き、お陰で私はホームシックとさよなら。なんだか元気が出て、最後まで仕事をやりこなすことができました。しかもドイツ人の方々にも親切にしていただき、すっかりドイツファンになっていました。

 今思うと、私はなんてひどい若者だったのでしょう。優しいおばさんの名前も覚えていないし、お礼の気持ちも伝えていない。覚えているのはケーキが美味しかったこと、おばさんが優しかったこと、急に元気になれたことです。

 今回お会いした K さんは実にパワフルで、仕事が速く、的確で素敵でした。しかもオフにはビールもワインも強く、よく笑い、よく食べる頼もしい国際パワフルレディ。彼女とお話した際、ドイツにお住まいの日本人女性が美容室で困っていることを少し耳にしました。やはり日本人の髪質は西洋の方とずいぶん違います。

また、帰国してから、ミュンヘン友の会のことなども知り、もし需要がありましたら、ヘアーカットやエステなどを提供しにドイツを訪ねたいと強く考えるようになりました。

 札幌でサロンを構えて20年近く、あのときのドイツのおばさんの心を大切に、サロンを継続することができました。せめてご恩返しにお邪魔できましたら嬉しいです。具体的なことは何も決めておりませんが、美容に関することは頭から足先まで、カットからマッサージまで全てこなせます。

 出来ましたら、お一人お一人とゆっくりお話しながら、ヘアケアやヘルスケアのお役に立てたら幸いです。カフェーパウゼのお客様、いかがでしょうか? 現実的に可能でしょうか? また、需要はありますか・・・?

札幌在住の48歳美容セラピスト

20078月6日

 

グリューネル・テー  − 日本茶礼賛 −

 日本ブームと言ってしまうと大袈裟だけど、ヤーパンのものはずいぶん幅を利かせてきてくれています。

 昔のゲイシャ・フジヤマの時代とは隔世の感というほど私も年を取ってはいませんが、ドイツに来た頃はドイツ人が喜んで食する日本食はすき焼き・焼き鳥でした。日本を訪れたことがあったり、住んだ人は当然、いわゆる日本食が大好きになったり、はたまた殆んどダメだったりで、これはどこの食事にもいえましょう。

 お茶については、テー・ツェレモニーつまり茶道のことをうっすら聞いたことがある人に質問されると、これまた説明したってそう簡単に理解はできません。そして、これが普通に言う日本茶といって出したって、これまたお茶事の濃茶や薄茶と異なる煎茶です。

 それでも昨今の健康ブームで日本食・日本茶は “ヴンダヴァー” とヘルシーの女王。どこかで試してきたあとに、日本人宅でイイお茶を頂いたりしたら、もう目からウロコが落ちたように目覚めてしまう人たちが多くなりました。それもそうです。こちらで売っている日本茶の美味しくないこと、ひどいものです。フルーツの香りをつけてしまったり・・・。

 親族、ドイツ人の友人たちも私のお里帰りの土産は日本茶オネガイと言う始末。我が亭主にいたっては「おーいお茶」と呼んだりしないで、自分でさっと入れてくれるのは有難いのですが、お茶っ葉をどさっと入れ、継ぎ足ししないで1回1回捨ててしまうのです。「安くはないんだけど・・・」という言葉を胸におさめています。

ミュンヘン  出がらしっ子

20072月14

 

世界の距離が縮まった昨今

京都在住の「古賀昭良」です。日本の古風文化で云う”文月”をあとに、まもなく葉月、カレンダーも残り5枚になってしまいました。傍ら、自分の加齢にも気がつかず、行動などを顧みて、”あぁ歳だな・・”と、うんざりする時がありますが、真剣に考えても、これまた仕方がありません・・。でもね、気構えはしっかりと抱いて、体を労っていきたいものだと、常々、思っております。新人類には負けんぞ、というスタンスで・・。

 処で、直近の”おばさんの独り言”で書いておいででしたが、世界中が沸騰したサッカー・ワールドカップは7月9日に閉幕。心配されていたテロやフーリガンの暴力事件もなく、お天気にも恵まれて、大盛況だった、と纏めてありました。いやはや、沸きに沸きましたね。お蔭で、睡眠不足が続き、あくびが耐えない日々を過ごしたものです。

 今やタイムリーに入って来るマス情報を、寝っころがって、テレビ中継が視聴できるなんて、世界の距離がますます縮まってきている昨今です。それに、こうしてKaffee-Pauseを書き終えたあとも、あっと云う間に相手に届いてしまう通信媒体には驚きを隠しきれません。なんでこうなるのか、メカニズムの構図をいくら耳にしても納得がゆきません。世界の隅々にまで、光ケーブルが布設されているからでしょうか。まあ、電話の世界と同様なんでしょうね、きっと。

 しかし、私は昔人間かも知れませぬが、やはり手紙の世界に情緒を抱いている一人なんです。無論、TPOにも寄りましょうが・・。以前、私たちの同人雑誌「往来」のバックナンバーでも書いたんですが、便箋の香り豊かな手紙の世界は情緒深いものがあると思います。だって、封筒に貼付された国の象徴とも言える”切手と消印”なんかは、備忘録に値するものだと思います。ですから、急がないものは、書簡で意思伝達をするように心がけているKaffee-Pauseの一人のメンバーなんです。では、本日のコーヒータイムはこれまで・・。

京都八幡市/古賀昭良

2006年7月31日

 

Dillingen 紹介

 もうすぐ夏休みですね。そんな訳で、私が住んでいる町を紹介させてもらいます。

名前:Dillingen an der Donau

場所:ウルムとドナウヴェルトの丁度、真ん中ぐらいの所。鉄道も通ってますし、車ならB16号線上です。

 ちょっと意外な物があるんです。日本の中学校の歴史には大抵出ている日本のキリスト教の歴史にフランシスコ・ザビエルという人物が出てきます。そして、この人が属していたカトリック教の一宗派にイエズス会というのも、名前ぐらいはでていることでしょう。

 私が暮らしているこのDillingenという町には、このイエズス会が哲学神学系の大学を持っていた町で、大学専属の教会というのがあります、17世紀のバロック洋式で建てられ、後にロココ調に内装が替えられたそうです。Studienkircheと呼ばれてます。その昔はこの大学で海外派遣宣教師を養成していたそうです。

 大変にりっぱな教会で、天井のフレスコ画には海外での布教活動、大学で教えられていた分野、イエズス会の代表的な人物等が描かれています。日本での布教活動も描かれています。

 フレスコ画が描かれたのは1750年ごろですから、人物などはちょっと日本人には見えない風貌ですが、それでもれっきとした「日本での布教」の場面だそうで、日本では布教活動は薩摩藩から始まったことから、薩摩のお殿様が仏壇を退け、殉教26聖人の一人、聖三木・パウロが自分の父親にロザリオを渡すシーンが描かれています。

 日本の戦国時代がカトリック教会のフレスコ画にあるというのは大変に珍しい。多分、ドイツではここだけだと思います。どうぞ、皆さん、このフレスコ画を見に来てください。

 この町では、戦国時代の日本での布教を知らせる文書も発行されてたそうです。旧大学専属図書館あたりで保管されている筈なのですが、2階から上は建物の老朽化で陥没の危険があるため、私は行ったことがありません。

 ウルムの大聖堂を見物したあと、電車で20分ぐらい離れたGuenzburuguギュンツブルグにはテーマパークのLegolandもあるので、ここで遊んだ後、ちょっと足をのばして、静かな町を見物、文化を辿るのも一案だと思います。

 ザールラント州にもDillingenという町があるそうですので、お間違いありませんように。紹介させていただいたのはバイエルン州のDillingenです。

Dillingenっ子

2006年7月11日

 

ドイツを訪ねて

5月13日21時35分、2年間夢見たBremenに無事着陸。13時間余りのフライト疲れはなく、アァーここはドイツなのだ・・・。辺りで交わされるドイツ語会話、目にはいる風景・・・。だんだん実感がわいてくる。 

 14日(日曜日)にはマルクト広場を散策。日本では観られない煉瓦造りのルネッサンス様式が美しかった。また、道路は市電・バス・自動車が共有して走行しており、交歩行者道路も幅も広く、その中に自転車専用の白線もあり、慣れない私はその中を堂々と歩き、何度もぶつかりそうに・・・。失礼しました。

 その道路の脇には緑がいっぱいでした。環境に配慮されているんですね。フジ、つつじ、なかでも石楠花の花がとてもきれいでしたね。日本ではフジの花は2mぐらいの高さまで伸びると横棚を作るのですが、Bremenで観たフジの花は上へ上へと見事に咲いていました。

 15日・16日の試合では2年前横浜大会から交友を深めていた友との再会!! 今大会で知り合えた選手!! 感動の一言です。出会いと別れ・・・(Bis RiodeJaneiro!!)。 【一期一会】言葉の重みを痛感した2日間でした。

 17日〜21日まで Berlin、Meissen、Dresden、Prague を観光して帰国しました。ベルリンの壁崩壊してわずか17年・・・。この壁が人を対峙し、今は鉄線で保護されていて・・・。壁には自由を求めた人々の心の叫びが・・・。胸が締め付けられました。

 Meissen の白い陶磁器。【白いゴールド】と呼ばれるのも値段をみて納得、納得。ザクロの絵付けが今はたまねぎに、ナゼ? Dresden は今年建都 800年、広々とした菜の花畑【菜種油はガソリンに】が美しかった。並んだ数多くの風車も初光景でした。

 環境に配慮されている国ドイツなんですね。一方、観光で観た多くの建造物は悲惨な戦争のメモリアル!! 正直な気持ち、暗くて重たかった。今の平和が惨禍の上にあることを胸に刻み、世界中が1日も早く平和にと・・・。幸せなドイツ訪問の日々を・・・有難うございました。

  楽しみにしていたビール、ソーセージ、ポテト、チーズどれも最高!!LECKER!! 今回たずねることのできなったドイツをまた観光したいです。

神奈川 高橋 おりみ

2006年6月13日

 

夢が実現・・・

 おばさんHPに初めて寄稿して早1年半過ぎようとしています。

 2004年9月に横浜で第12回世界ベテラン卓球大会が開催されました。その時のドイツ選手との出会いを大切にし、現在に至りました。

 World Veterans Table Tennis Championships May 15-20 2006 in Bremen にエントリーし、13日にブレーメン入りします。おばさんHPで「夢は2年後のBremen大会に参加することです」と結んだ思いが実現できそうです。今 童心のように ワクワクしています。 

 ドイツ語をもっと勉強しておけば・・・・と反省していますが、それ以上に憧れのドイツ、そして2年ぶりの再会に興奮しています。

神奈川 高橋 おりみ

2006年5月15日

 

チェルノブイリ原発事故20年に寄せて

 20年前の4月26日、旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原発の4号機が爆発した。大量の放射線物質が噴出し、西ドイツへは30日、風に乗って運ばれてきた。

 当時、私はドイツの田舎町にある成人講座で日本食の講座を開いていたので、講座用の生鮮食品の調達に駆けずり回った。講座用の食品で冷蔵庫はパンク寸前、毎回の講座に持ち込む食材で、講座への往復は贅沢な和食パーティーが出来る荷物だった。教室の台所にはゴミは残せないので、切り落としの野菜や食べ残しの生ゴミ、包装類と、帰りにはお持ち帰りとなった。そんな事から、原発事故の記憶と講座での様子が鮮やかに残っている。

 大変に暖かい日だったので、バルコニーでゆっくりしながらラジオで原発事故のニュースを聞いた。昼の暑さは夕方には大雨になった。ニュースでは、西ドイツ政府は「心配なし」という発表をしていたが、州によっては「子供は外に出さない、水たまりで遊ばせない」、「菜っ葉の青野菜には注意しましょう」、「靴は家屋に入れない」等など、忠告をし始めた。州としてばらばらなので、国としての意見が求められ、遅まきながら「水分を多く含む青野菜は全部ダメ」、「農家は蓄えの餌を家畜にやり、青い草は与えない事」、「国民はしばらくはビンや缶入りの食品でやりくりして様子を見ること」などが流された。

 西ドイツ国内でも州によってテンデンバラバラな発表だったから、ヨーロッパ内ではもっと揃わない話だった。西ドイツでは「肉には注意」でも、ライン河対岸のフランスでは「ノンノン。うちのビフテキはだいじょうぶ」の発表で、フランスでは放射能の検査をしてるのか? と疑われていた。

 一頃、不凍液入りワインで不評をかっていたオーストリアとイタリアでは原発事故の後、4月30日に野菜販売禁止を発表した。スイスは何もしなかったが、山の上は放射能が多くなり、歩かない方がいい、という話だった。

 バイエルン州の農家では売り物のサラダ菜やホーレンソーの野菜を全部、諦めさせられ、5`と離れていないスイスの農家ではOKなので、大変に不満が出た。翌年1月に選挙を控えていた事もあって、次第に内政問題に発展、これがチャンスとばかりに環境保護の緑の党の点稼ぎになった。

 日を追って乳製品、肉、ハウス物の野菜から放射能が検出され、私は冬越しの野菜、缶詰、基礎食品の買いだめに走った。薄暮の中を講座へ出発すると、通りがけのスーパーの缶詰め野菜が棚から無くなっているのが目に付いた。ドイツ人は早い、と思った。実家の祖父へ報告したら、「ドイツ人は食糧難にはコリてるからだろう」などと言ってた。

 私はこれを機会に、カルシウムと似ている為に体内に取り込みやすいセシウムを口に入れないために、買い置きのミルクがなくなってからは大豆から豆乳をとり、これを利用した。豆腐を手作りするのも覚えた。

職場や成人講座でも原発に関する話題で持ちきりだった。いつもは面白おかしい人が幼い子供二人を抱えて、ガックリしてしまっていた。課長はいつもはお金を転がす事に細かい話をするのが、自宅の「チェルノブイリ その後」と称して、サバイバル方を披露してくれた。蓄えのジャガイモと輸入バナナ、養鶏場の卵で命を繋いでいるそうだった。

 春一番に出てきた、自宅の庭のサラダ菜、カブなどを涙をのんで捨てた人がいた。やっと庭の土作りができたのを、上部10センチの表土を胸が傷む思いで取り去った人がいた。ある人は自然菜園を自慢にしていたのが、すっかり不機嫌になっていた。

 頭が少々弱くなったおじいさんがいる家では、庭の野菜を引っこ抜いている息子を見て、「気が狂ったか」とおじいさんが慌て、悲喜劇そのものだったとか。「サラダは体にいい、と信じてきているおじいさんの前にだけサラダをだしているんだ」と話す人がいた。

 当時の西ドイツではこの年の6月辺りに世界医師大会が行われ、ある日本人参加者が「被爆国であり、経済大国といわれて、チェルノブイリ原発事故に絡んで各国の国家元首がメッセージを送ってきているのに、日本だけはない。大変に恥かしい思いです。日本の政治家の国際感覚の無さを感じました」と、話していた。

 政治を茶化すドイツTV第一放送、ARDの人気番組「Scheibenwischer(ワイパー)」でも原発事故を取り上げた。ところが、放映直前になってバイエルン州では放映を禁止した。この頃はまだ、衛星アンテナは全く、広まってなかったので、バイエルンの住民は「Scheibernwischer」を見られない事になってしまった。

 州がご法度するような内容なら、なお更に見たくなるのは当然で、大分、騒がれた。我が家はバイエルン州の隣、バーデン・ヴュルテンベルグ州の放送周波数をアンテナなしでもキャッチできるとあり、観察気分をもってながめた。

 「Scheibenwischer」では、「事故の際の行動」という小冊子を取り上げていた。この小冊子には「落着いてニュースを聞け」とあるのだが、チェルノブイリのような原発事故が起こったら、町周辺の道路は4,5分で完全封鎖、町の住民は「袋の中の鼠」、「住民の皆様には申し訳ありませんが…」というシナリオになってると、番組の登場人物は語っていた。

ドイツ在 Fraule

2006年4月25日

 

解けた謎 その1  

 私が入居したアパートには大変に意地悪な年配ドイツ人女性がいた。 長老格のお宅の奥さんだったので、他のオバサン達5人もオバサンに右に習えをしたため、大変だった。そのうち、オバサンは亡くなり、オジサンは独り者となった。

 ラジオジャパンでサル山のボスの本妻ザルが死んだため、その座の争いが始まっていると聞いた。それはグループの中でも大人しいサルをイジメる事で周りを威嚇するというやり方だ、と説明が聞えた。こういうのをドイツ語では「Hackordnung」という。ニワトリ社会から来ているそうだ。

 事実、私のアパートでも特に3人の姥ザルがHackordnungをめぐって激しい威嚇を連日繰り広げ、3人はオジサンのところへ通ってはつまみ出される、私にとっては大変に胸がスーッとするシーンがしばしばあった。オジサンも足腰が弱くなったが、「私はシベリア帰りの古参兵だ。弱音を吐かないように教わって、今まできたんだ」とか云いながら、1人で家事をこなし、ケーキまで焼いたりしていた。

 ある時、ポツンとオジサンが云った。「35歳で娘が死んでしまって、その時、アンタが入居してきて、元気だし外国人だからだネ、ウチのがどうしても納得しなくて、アンタも大変だったろう。だけど、どう説明してもダメだったんだ」。人間の心理とは本当に複雑なものです。それにしても変なトバッチリを受けてしまった。

その2

 ドイツにある日本人会の記念会に出席してきた。私達のグループは日独語の理解度、年齢も様々で、日独語取混ぜ、日本語で1人に話し掛けて、すぐにドイツ語に直す具合の時もあったり、反対にしたり、あるいはそのまま話を進めて、一段落してから、別の言語で略訳したり、ドイツ語で話してて、いつしか日本語になったりしていた。

グループの1人が来客を控えていたし、大方のプログラムも終えた頃にケガ人が出て会長家族が救急車に付き添ったりしたので、私達も早退することにした。準備や片付けが会長家族にかなりの仕事量となる話を聞いていたので、早退する前に解るだけではあったが、借出している屋外のテーブルやイスを片付け、台所の洗い物をきれいにして、解る物だけは持ち帰ればいいようにして、帰宅してきた。

日本人会へ持ち込む菓子の作り方を教わったサイトさんの掲示板に報告とお礼をしようとしたら、記念会にいた日本人会のサイトを担当している某ネット達人女性の私への投稿に目がついた。

日本人会のお祭りの数日前の記入に「カステラおねがいしますね」とあり、お祭り会の後の記入に「YYY子さん以下、ゲストの方々は文句タラタラでしたネ」とある。ゲストたちは食い逃げしてドウノコウノ、という話であった。確かに、私たちは礼儀としてのお礼やら、ねぎらいやらに付け加えて、「今日はこれで食い逃げさせていただきますが…」という常套句も付け加えはしたのである。(漫才みたい)

某ネット達人女史の所へ電話して、話の出所を伺ったが、「それは匿名です」といい、件名の詳細も「匿名です」というので(件名は「匿名」ではなくて別の言い方をするのでは?)、何はともあれ、日本人会に不愉快な思いを残したらしい私たちグループ以下、ゲスト全員を代表して、おわびを云った。話の出所の女性へもその旨を伝えて欲しいと願って、電話を切った。

グループの1人に報告がてらコボしたら、「アナタ、謝ったら認める、って事じゃない。本末転倒もはなはだしい。アナタはまだ日本人よ。私達はちゃんと食費代を出して出席してきてるんで、来て貰ったお礼どころか、お手伝いしてもらったり、アナタはカステラまで持っていって、誰もお礼を言って来ないじゃない。誰がそんな事言ってるの! 電話番号教えなさい。私が出てあげる!」という発展をした。

私達だけでなく、他にもゲストはいたので、釈然としない気分ではありましたが、公式に代表者としてのお詫びの手紙を出した。この会の会誌最新号に、総会テーマで、ゲストの処置がなかなかに難しいらしい内容が印刷されていた。

会長に問い合わせたところ、ゲストを招くと毎回、ケンケンカクガクの様子らしい。詳細は日本人会と限らず、学園祭や町内の催しなどでもある事柄なので、ご想像乞う。この際、私達が受けた反応を話したところ、解ってきている筋を話してくれた。

どっちの言語がよく理解できたのか知らないが、大人ゲストの会話を耳にした子供が、ゲストたちは文句を言ってると、日本人の自分のお母さんに伝え、そのお母さんなる女性は事後、某ネット達人女史に「XXXXだと云ってたそうよ、OOOOって」と話し、某ネット達人女史が、私が菓子の作り方を教わって、日本人会へ持っていく抱負を伝えていたサイトの掲示板にてゲスト全員の代表者みたいに見えたらしい私を名指しでバッシングという、要は日独語混ぜ混ぜ会話の全容を知らない発信源の「電報ごっこ」と、日本語の早退時の謙譲語が解らなかった日本人が原因であった。

南ドイツ  Hackordnung

2006年4月10日

健康は最高のプレゼント

 随分のご無沙汰です。本サイトに寄稿をと思いながらも、つい筆不精となってしまい、申し訳ない気持ちです。というのも、昨年から本年にかけて、我が家は"凶の星"に見舞われ、落ち込んでいる近況にありました。

 一つには、昨年の7月から長女が入院、闘病生活が続きましたが、娘の持ち前の頑強な精神でもって懸命に病気と闘い続けてきましたが、勝つことができず、去る3月1日に新世界へと逝ってしまいました。ただただ、残念と悔しさが今でも払拭できず、”しょんぼり”と生活を送っております。

 娘がよく聴いていたようですが、時のアーティスト「平井  堅」のCDの中から学友たちが選曲をし、”歌ばか”をレクイエムとして流し、葬送してもらいました。本人には、きっと喜んでもらえたものと思います。

 悪いことが続き、私めが今年の1月早々に、階段の段を踏み外し両足首骨折、即、手術入院となってしまいました。延べ49日間の入院を余儀なくいたしましたが、親子して全くついていなかった思いがいたします。

 3月5日に退院をいたし、両松葉杖でヨチヨチ歩きの状態でリハビリ通院に励んでおりますが、こればかりは焦ってもどうにもならず、長時間との勝負になりそうです。

 私は常々、「健康は、自分が自分に贈ることのできる最高のプレゼントである」と言い続けてきましたが、その当人がこのようでは性根が入っていないんでしょうね、きっと・・。

 こんな近況を認め結びといたしますが、読者の皆さん、ご自分の行動には十分ご配慮のうえ日々を送ってください・・。

                                                                    京都八幡市・古賀昭良

2006年3月20日

バイリンガル

 2月22日更新のニュースの一つ「バイリンガルは移民の子供の利点にならない」で、私のごく身近な例を一つ、紹介させてもらいます。

 友人の一人はギムナジウムの英語教師です。生徒の中には移民の子供も1クラス辺り、数人はいるそうです。ある一人の15才の生徒は、能力から言えば順調に進んでくれて良さそうなのが、一種の壁に突当たってしまってるようで、生徒との相談も効き目がないので、校長先生同伴、生徒の両親と相談したそうです。

 そこで判明したのは、生徒の一族は全員、ロシア語が母国語で、日常的にドイツ語を話す一族ではない事、生徒の両親は子供がドイツに同化する事を切に願うことから、家庭ではドイツ語を話す事を命じている事、しかし、両親のドイツ語会話力はおぼつかない程度で、夫婦の間ではロシア語を話す方が多く、そのため、生徒はロシア語の会話は理解できる事、そして話そうと思えば話せる会話力だという事だったそうです。

 この生徒の場合、ロシア語能力の方がドイツ語よりは大きいとみて、友人と校長先生は子供にとって、母国語と呼べる言語の能力がどんなに大切であるか、力説したそうです。それでも、生徒の両親は子供がドイツ語に完璧になってくれる事を望んで、ロシア語を磨く事には強く反対したそうです。

 この生徒はきっと、母国語と呼べるものを持てないまま、ロシア語、ドイツ語、両方とも不完全な形で習得したままの表現能力で育ってしまうのかもしれません。この生徒の内面生活がなんとか豊かに育って欲しいと案じた例でした。

内面衛生

2006年3月8日

 

Du  bist  Deutschland !

2 月22 日の「オバサンの独言」の国のシンボル・カラーの順序を間違えた話は、ドイツ暮しの我が家でも話題になりました。

 ところで、我が家ではHxxberg出版社の写真・日めくりカレンダーを一本、使っています。昨秋から書店には様々なテーマに合せた、この出版社の日めくりが山積みされてました。このカレンダーには「世界の街」などというテーマもあり、一年365日の中には数枚は日本の写真がありました。

 しかし、人物のファッションから判断して、昭和20 年、30 年代の写真のようです。お城や鳥居の写真ならそれほど気になりませんが、人物が出ていると、ガッカリです。そして、往々にして裏表が逆。漢字が読める訳ない、気がつかないんだろう、しょうがない、と思ってました。

 今年はドイツ人の友人が私にプレゼントしてくれたので、カレンダーのテーマは「ドイツ」。毎日、各地の習慣、観光地、博物館などが写真と共に紹介されてゆきます。

 オリンピックが始まって「ドイツ、あ〜みっともない」という声が挙がってから、何日もしない、ある一日、このドイツ・カレンダーにミュンヘンの写真が出ました。私自身はミュンヘンには頻繁に出ないので、何も思わなかったのですが、家の者が騒ぎました、「確信は持てないけど、反対だ!」。カレンダーをプレゼントしてくれた友人は、学生時代をミュンヘンで過ごしたので、問題の一枚を見せました。やっぱり反転してるようです。

 話が跳びますが、此の頃、TVでドイツの有名人、芸能人が「Du bist Deutschland」と語る、スポットが出ます。低迷するばかりの景気を、国民の意気の景気づけを意図した物だそうで、「ショゲて節約ばっかり、値切りに血走って、何も買わないのはいけない、ガンバレ!」という図式で制作された物だそうです。

 「黒・赤・金」を背負って儲けさしてもらってる会社さんの欠陥商品、ギャグとしては買えそうですが、「ここはお国のためだから」と、あなたは買いますか?

買わない派

2006年3月8日

 

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